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ヒストリー


「めじろ台キリストの教会」のあゆみ

 めじろ台キリストの教会」が八王子市めじろ台の地に建立され、早41年が経過しました。一昨年の201011月には40周年記念礼拝をお捧げし、2012年の今、42年目の歩みを継続しているところです。

 遡ること1970年11月に、米国人宣教師ハロルド・シムズ夫妻により、めじろ台キリストの教会の礼拝が始められ、その後、岸本大樹、船戸良隆の日本人牧師が引き継ぎ、現在三人目の牧師、吉良賢一郎が伝道者の任を負っています。

 めじろ台キリストの教会は、今日「キリストの教会」と呼ばれる一連の諸教会を生み出した、米国における19世紀の宗教改革と呼ばれる『ストーン‐キャンベル復帰運動』にそのルーツを求めることができます。復帰運動の精神は、その名が示す通り、「聖書への回帰と諸教会の一致」に収斂しますが、めじろ台キリストの教会は、復帰運動のスピリットを尊重しつつ、「聖書」と、先達たちが残してくれた「教会の『生きた伝統』(The
living faith of the dead)」も大切にしたいと願っています。

※「ストーン‐キャンベル復帰運動」から主に三つの流れが発生し、日本でも三派による伝道がそれぞれ盛んに行われました。「○○キリストの教会」や「○○キリスト教会」「○○基督教会」など、各教会の裁量でそれぞれ自由に名乗っています。その中の一つ 、「ディサイプルズ派」の名で知られる教群は戦後も日本基督教団に留まり ました
が、他の教会は全て単立教会です。なお、米国では Christian Churches and Churches of Christ (独立系有楽器群)、The Christian Church
(Disciples of Christ)(教団組織を形成する有楽器群)、 Churches of Christ(独立系無楽器群)の名で宗教年間に登録。ちなみに、「めじろ台キリストの教会」は "Christian Churches and Churches of Christ" (独立系有楽器群)の流れを汲んでいます。



「キリストの教会」という運動とその歴史的背景

 新世界アメリカ大陸が発見された頃の旧世界ヨーロッパにあったキリスト教は、国家権力と癒着して原始教会の姿から全くかけ離れた姿になっていた。そこで多くの宗教改革の努力が各地で試みられ、プロテスタント運動が起こったが、不幸にして内部分裂を繰り返してさらに多くの宗派を生んでしまった。このように政治的、経済的にも困難な問題を抱えた旧世界から、人々は新世界に希望を持ちつつ移住していった。しかし、新世界にも移民たちは各自のキリスト教宗派を持ち込み、混乱と宗教的対立や分裂は増加するばかりであった。混乱するアメリカ各地で、そのような宗教界の分裂に心を痛めた人々が、誰が呼びかけたわけでもなく、同時発生的に、新約聖書教会に戻ることでキリスト者の一致を求め始めた。スコットランド教会系アイルランド人、長老教会牧師親子トーマス及び、アレキサンダー・キャンベルや、アメリカ生まれで旧世界の教会から自由独立を強く主張した長老教会ストーン牧師、メソジスト教会のオッケリ牧師、バプテスト教会のスミス牧師やジョーンズ博士などがキリスト者の一致を新約聖書にある教会に戻ることで達成しようと訴えた人々の一部であった。旧世界からの解放と自由と独立の要求は開拓者の精神的支柱となり、原始教会復帰・信者一致運動は急速に新世界開拓者に受け入れられて成長していった。旧世界から持ち込まれたすべての人為的組織や聖職者階級制度や信条を排除し、新旧約聖書のみを神の誤りなき言として信じ、「聖書の語る所を語り、聖書の黙する所は我々も黙す」ことや、「信仰の根元的な面では一致を、見解や意見の相違では自由を、その他のすべての面では愛を」との主張が開拓者に受け入れられていった。

 教会における礼拝形式、信仰実践、教会組織、行政、運営面などを新約聖書の教えと新約聖書に明示された姿にできる限り戻る事を訴えた。各教会は単立で完全な自治、自養、自立の原則を固守し、各個教会を支配するような組織や制度を認めていない。召命感を得た者が伝道者(牧師)としてみことばの奉仕と牧会の任にあたる。公同礼拝においてできるだけ単純素朴を主張し、毎日曜日に主の聖餐を守り、バプテスマは浸礼による。祈り、讃美をなし、御言葉を学び、主の業を支えるために献金や奉仕をする。聖書より説き、聖書に復帰する事でキリスト者の一致を求める運動に共鳴する群れであるので、一つの教派として定められた人為的な教派組織、聖職者制度、及び神学や教義を持たない。

 アメリカの成長発達と共に各地域の利害対立や文化の差が生じ始め、農業立国を試みた南部と工業立国を目指した北部の立地条件の差などが、この教会の運動にも複雑な影響を与え、1900年初頭に北部のディサイプルス系と南部のチャーチ・オブ・クライスト系に分裂した。チャーチ・オブ・クライスト系(Churches of Christ)は保守派として公同礼拝において楽器を一切使用せず、ア・カペラとしている。その後も北のディサイプルス系は急速に近代主義的傾向を加速した事に対する内部批判が表面化し、1927年にディサイプルス保守系はリベラルになっていったディサイプルス(Christian Church [Disciples of Christ])から分離し、クリスチャン・チャーチ(Christian Churches and Churches of Christ)として別個の群れを形成し、中間派となり今日に及んでいる。地域によって、クリスチャン・チャーチはチャーチ・オブ・クライストと名乗る時もある。

 日本には1883(明治16年)年、ガルスト、スミスが来日、1888年にスナッドグラス、1901年にカニングハムなどが来日して三派がそれぞれの活動を開始して今日に及んでいる。ガルストの活動はその後に滝野川聖学院とそれに関連するディサイプルス教会を秋田や東京に生み、日本キリスト教団に加入してこの運動から日本では離脱した。保守派のチャーチ・オブ・クライスト系は主として静岡地方から茨城地方に伝道し、茨城キリスト教学園や児童養護施設、老人ホームなどを生み、全国に60余教会を抱えている。カニングハムの活動から生じた中間派のクリスチャン・チャーチは東京近辺と大阪以西に主として活動し、大阪聖書学院を中心に全国に70余教会が存在する。(キリスト教年鑑掲載の野村基之氏の概説より抜粋)

尚、キリストの教会(有楽器群)の視点を中心に、更に詳しく知りたい方は、こちらをご覧下さい。
野村基之氏によるキリストの教会先駆者紹介は右をクリック 先駆者紹介



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