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牧師からの挨拶


めじろ台キリスト教会牧師の吉良賢一郎です。
「めじろ台キリストの教会」は皆さんを歓迎致します。

「聖書の学びに興味のある方」「キリストの福音を学びたい方」「キリスト教会の歴史に興味のある方」「お子様に善悪の分別を養わせたい方」「クリスチャンの交わりを探しておられる方」「キリスト教になんとなく興味のある方」「特にさしたる興味はないけれど、一度教会の門を叩いてみるのも一興、とお考えの方」「学校のキリスト教の授業で質問を抱えておられる方」「ミッションスクールの宿題で教会訪問をしなければならない方」「文学を通してキリスト教・聖書の行間に興味を持たれた方」「社会学を通してキリスト教会の機能に興味をお持ちの方」「人類学を通してキリスト教を眺めたい方」「神学の視点からキリスト教を考えたい方」「今日のスピリチュアリティブームとの対比でキリスト教を学びたい方」「現象としてのキリスト教と言う、宗教学的興味をお持ちの方」「一般教養としてキリスト教を学ばれたい方」「宗教全般に興味のある方」「人間の宗教性を不思議に思っておられる方」「異なる宗教間の比較をしてみたい方」「他のキリスト教会との違いを教派的に探ってみたい方」「魂に飢え渇きを覚えていらっしゃる方」「自分はどこから来てどこに行こうとしているのか、という人間存在の根本的問いを自らに問うておられる方」「あるいは、そのようなことを今は何も考えておられない方」――その他どのような興味、関心でもかまいません。「来る者拒まず、去る者追わず」と言っては乱暴ですが、どなたにも教会の門は開かれており、私たちは、あなたの来訪を心待ちにしております。

きっかけはどうあれ、この祈りの庭で、聖書とキリストの福音を学び、喜怒哀楽に満ちた人生の深さを分かち合えれば幸いです。どなたの人生にも、「喜」「怒」「哀」「楽」のどれかは当てはまりますでしょう。遠慮なくおいで下さい。いろいろと書きましたが、教会は温かいところです。ここに敷居はありません。



ミニメッセージ

織田信長が好んで舞った謡曲『敦盛』の一節に「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。」とあります。今日、日本人の平均年齢は50歳を遥かに超えましたが、たしかに、『敦盛』の言葉を待つまでもなく、一度生を受けた者は、必ず死ぬる運命にあります。私たちの命は有限であり、今まとっている肉体はいつかは滅する定めにあるのです。しかし、聖書が私たちに教えるところは、人生は「夢幻」などでは決してなく、人間の存在は「露と落ち、露と消えるような儚い存在」でもありません。私たちの生涯は初めから終わりまで神の御手(主のリアリティー)の中にあり、神から与えられた「命」と「存在」は、「キリストの十字架の贖い」と「死んでも生きるキリストの復活の命」を頂くことによって、死すべき者から朽ちぬ者として、神の完全なご支配(天国)の中へと昇華するのです。

わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」新約聖書第一コリント信徒への手紙15:51-55(新共同訳聖書)



牧師プロフィール

吉良賢一郎

 千葉県出身の自称「傾奇者」(かぶきもの)。16歳の時に教会の門を叩き、一年後の17歳の時、イエスをキリスト(救い主)と信じバプテスマ(洗礼)される。

 それと時を同じくして、当時高校の柔道部で汗を流していたさなか、ひょんなことから某バラエティー番組に出演する機会を得、そこでとある有名コメディアンの知遇を得る。その方の好意で、高校時代は、某コメディーショーのエキストラをさせてもらい、学校、部活などはそっちのけで、某テレビ局内をうろちょろ。

 けれども、高校卒業後は芸人修行の道は選ばず、これまた、ある方との出会いをきっかけに、カナダの先住民族の実情を学び、聖書を専門的に学ぶ志が与えられる。そして、その後多少回り道はしたものの、東京、大阪、茨城、米国イリノイ州をうろうろしながら聖書とキリスト教神学、宗教社会学を学び、カナダ国サスカッチュワン州では、先住民(クリー族)部落に寄留しながら、「喜怒哀楽に満ちた人間の現実」を学ぶ。

 現在は当地で、「聖なる公同の教会」(The Holy catholic Church)の働きの一端を担っています(この場合の "catholic" とは「普遍的」の意)。

牧師略歴

1970年 東京都文京区に生まれる(千葉県柏市育ち)
1987年 日本同盟基督教団 南柏聖書教会でバプテスマ(洗礼)
1989年 日本体育会 柏日体高等学校卒業
1990年 アメリカン・クリスチャン・カレッジ入学

1991年より「八幡山キリストの教会」に属したが、大阪聖書学院在学中に八幡山集会が
閉鎖となった。なお、旧八幡山キリストの教会は現在、「甲斐小泉キリストの教会、通称・ベタニヤ集会」
  (山梨県北杜市に移動)の名で活動継続中。

1998年 大阪聖書学院(聖書文学課程)卒業

大阪時代は、守口キリストの教会(現・キリストの教会寝屋川福音館、大阪府寝屋川市)、
小野キリストの教会(兵庫県小野市)に属す。

2003年 リンカーン・キリスト教大学大学院神学校(米国イリノイ州) 修士課程(現代神学・哲学専攻)終了

米国時代は、トリニティ監督派教会(Trinity Episcopal Church)に属す。

2012年 筑波大学大学院博士課程(宗教学専攻)

実家のあった千葉県柏市時代は、2006年にめじろ台キリストの教会牧師に赴任するまで、
1994年以来一貫して、柏福音キリスト教会(日本福音キリスト教会連合)に属した。
そこは専任牧師のいない教会でした。


2006年 めじろ台キリストの教会牧師・現職


当教会は、社会的には、「キリストの教会・有楽器群」に属し、英語では Christian Churches and Churches of Christ の名で呼ばれています。

牧師の傍ら、英会話学校やいくつかの学校でも非常勤講師としても教えています。


家族

家族 米国インディアナ州出身の妻1人、子供3人。

趣味

見知らぬ土地を闊歩し、未知なる文化、人、珍妙な物に触れ、ウキウキ、ワクワク、ドキドキすること。

好きな言葉

風は思いのままに吹く(ヨハネによる福音書)
平穏であって、ひと塊の乾いたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家に勝る。(箴言)
私たちは情状を斟酌すべき証言を習慣的に退けてしまう。つまり自分の判断の正しさを過信するあまり、それと合致しない証拠は無効と決めつける。だが、そんな姿勢では、真理という言葉に値する何ものにも到達できるはずがない。(マリリン・ロビンソン『アダムの死』)

愛読書&定期購読新聞・雑誌

遠藤周作全集
産経新聞
Daily Yomiuri
Time
キリスト新聞
聖公会新聞
福音と世界
ミニストリー
Christian Century
Anglican & Episcopal History
Anglican Theological Review

所属学会

日本宗教学会
筑波大学哲学・思想学会
日本聖書学研究所
American Academy of Religion
Historical Society of the Episcopal Church
Disciples of Christ Historical Society
The Association for the Sociology of Religion
The Prayer Book Societ

尊敬する歴史的人物

前田慶次郎(前田利家の甥)

当家家訓

神を愛し、聖書をよく学び、礼節を守り、人に仕え、人生をかぶけ。(妻からは、かぶくのはほどほどに、と釘を刺されておりますけれども。)




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