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書評&映画評


麻生 幾著 『前へ!―東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』
(新潮社、2011) ¥1,517

「本日午後10時20分、2号機メルトダウンの予想!」「全部隊、第一原発から100キロ以上退避準備!」悪夢へのカウントダウンを止めるべく、彼らは立ち上がった…。高レベルの放射線が降り注ぐ中、暑さで曇ったゴーグルとマスクを投げ捨て、原発への放水を成し遂げた自衛隊員がいた。ある隊員は「死ぬなら自分のような独身者が」と原発行きを志願した…。国交省・東北地方整備局率いる決死部隊は、被災地を目指す救助隊の先陣を切り、瓦礫と遺体で埋まる基幹道路と格闘し続けた。警視庁機動隊、東京消防庁ハイパーレスキュー隊、災害派遣医療チーム、福島県警察本部……。失態を繰り返す官邸、東電をよそに、命を賭けて黙々と未曾有の危機に対峙した、名もなき戦士たちの壮絶なる記録!
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上記は出版社による本書の内容紹介です。斯くの如く大変勇ましい物言いとなっていますが、紹介された機関、人々の「ヒーロー物語」ではありません。彼らの職務に対する使命感、最大限の努力、いくつもの落胆、払った大きな犠牲を、彼らの目線でありのままに追跡、追想していく、極めて精密な取材に基づくドキュメンタリーです。しかも、本書で紹介されている機関、人々は、出版社の内容紹介にあるように、いわゆる「官僚機構」とそこに属する人々がメイン。民主党政権になってからとりわけやり玉に挙げられる官僚組織ですが、彼らの立案能力、実行力、それを下支えする豊富な人的資源、蓄積された知識と経験には目を見張るものがある――否、彼らがいたからこそ、福島第一原子力発電所の事故を始めとする震災!
初期の危機的状況の緩和(原子力安全・保安院ではなく、自衛隊、消防、警察の決死の人海戦術による)や人命救助、その後の復旧活動を推し進めることができた、と著者は言いたいのでしょう。

これだけのプロ集団をうまく使いこなすことのできる総理と内閣が今の日本政府には存在しない、と控えめな著者の叫び声が行間からこだましています。メディアがカバーしきれなかった公僕の生の姿、犠牲者、被災者と共に彼らが削った命、苛酷なミッションで殉職した自衛官とご家族の魂、文字通り精神が病むまでご遺体を捜索、搬送する中で削られた現場自衛官の精神の欠片をすくい上げ、市井の臣に開示して下さった著者、麻生幾氏には敬服するばかりです。

この度の東日本大震災で多くの人命が奪われました。まだ、その何倍ものご遺族を生み出しました。犠牲者の魂の平安、ご遺族への慰め、とりわけ震災孤児・遺児となった子供たちの全人的ケア、そして被災されたすべての方々に、「存在への勇気」「未来への恋慕」「死んでも生きる命」への熱い希望がありますよう、衷心よりお祈り申し上げます。



News Week 日本語版 スペシャルエディッション編 
『0歳からの教育増補版』(阪急コミュニケーションズ、2008)\800

【乳幼児の人格形成と脳の働きを知るために】

かなり科学的な情報を盛り込んだ本である。しかも盗作処罰の厳しい米国刊行物ならではの情報出典元がきちっと記されてあり、読者にはさらなる情報を得るためのレファレンスとしても配慮されている点は実にありがたい(本書は翻訳)。
本書は、タイトルとは裏腹に、教育というよりも、乳幼児の心と体(とりわけ脳)の働きを科学的に分析し、それを踏まえた親や周りの大人たちが、どのように科学的情報に経験知を加味しながら子育てができるか、を支援するような体裁になっている。読者、とりわけ新生児を抱える新米夫婦は、まず読了後「安心」と「励まし」を得るであろう。それは、米国における研究結果が中心に書かれたものであるが、米国的冒険心と全人的理解と全人的教育に力点を置いた内容のダイナミックさがなせる技でもあろうかと思う。米国の義務教育制度と質には甚だ疑問を持つ者であるが、赤子も含めた「人」(人格と存在)の取られ方は、極めて宗教的(キリスト教的)であるという点も見逃してはならない。



川端純四郎 /関谷直人著 『クリスマス音楽ガイド新装・増補版 』―クリスマス・シーズンに歌いたい音楽50選― 
(キリスト新聞社、2007) \2,800

CDが付属しており、実際メロディーを聴きながらアドベントから顕現節前までのクリスマスシーズンでよく歌われる讃美歌、コラール、カンタータを学ぶことができます。各セクションの冒頭に、神学者、川端純四郎氏のショートメッセージ、各曲の背景やエピソード、クリスマス伝統の基礎知識も記されており、内容的には至れり尽くせりです。クリスチャンや教会音楽研究家のみならず、牧師にも大いに役立つでしょう。ただ、『讃美歌21』がそれほど普及していない今日の状況を鑑みますと、『讃美歌21』の番号に加え、『讃美歌』『讃美歌第二編』『聖歌』『新聖歌』等、他の賛美歌集にも収録されている曲は、それぞれの歌集の番号が併記されていた方が、読者には親切であると思います。なお、川端純一郎氏は、ブルトマンの元で学んだ著名な神学者です。


マーク・R. マリンズ著 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』
(トランスビュー、2005) \3,990
本書は原題「Christianity Made in Japan」の邦訳である。もともとは、ハワイ大学出版社から出版された渾身の力作で、著者は現在上智大学で教鞭をとっている。本書のテーマは「日本発の日本的キリスト教諸派」の発生とその展開であるが、無教会のような非主流派ながら社会に影響を及ぼし続けた儒教的教群から、まさに「セクト」という呼ぶにふさわしい特異な土着化した教会まで扱うグループは多義にわたる。読者は、日本近代100年間に、キリスト教(キリストの福音)を日本に根付かせようとした先人たちの偉大な冒険と光陰(広まりと変容)を学ぶことになるだろう。
彼らの試みは日本の宗教風景を映し出す貴重な教材でもある。なお、宗教社会学的研究の方法論(宗教の社会的機能研究)を念頭に置いて読むと、行間にちりばめられた著者の視点(角度)はなお明瞭になるので、宗教社会学の入門書わきに置いて読まれたい。


ドナルド・B. クレイビル, デヴィッド・L. ウィーバー‐ザーカー,
スティーブン・M.ノルト (共著), 青木 玲 (翻訳)
『アーミッシュの赦し』―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房、2008) \2,625
アーミッシュという存在を知っていても、彼らの生活やアイデンティティの根源にあるものを知っている人は少ない。本書は、アーミッシュのコミュニティで起こった無差別殺人事件をめぐり、彼らがとった「驚くべき恵み」(原題:Amazing Grace)の行動を題材として取り上げつつ、アーミッシュという共同体の歴史背景、宗教思想、博愛主義を丹念に尋ね、彼らに帰せられた既成概念を一枚一枚取り除いていく。普段知る機会の少ないアーミッシュの素顔を、悲惨な事件を通してではあるけれども、実にリアルに紹介している本書は、キリスト教研究者のみならず、人間の本来性を探るすべての人に読まれることを望んでいる。テーマは、タイトルにある通り、アーミッシュにとっての『赦し』である。


織田昭編纂『新約聖書ギリシア語小事典』(教文館、2002) \5,250
概してドイツ語、英語圏で学んできたという新約聖書ギリシア語学者は、単語の意味論、文章の統語法の数学的知識には精通しているが、生きた言語としてのギリシア語に関する知識は殆どない。それ故、時に、新約聖書時代からだけ抜き出した数学的データのみに頼り、珍妙な誤解をする。

学者たちは便宜上、古典期、コイネー期、ビザンチン期、現代ギリシア語などと区分けをするが、本来、言語は常に変化し続ける生き物であって、ひとつの時代だけを抜き出してなす、数学的研究など成り立とうはずはない。新約聖書ギリシア語の全体的把握は、その前(古典期)と後ろ(現代)を見ないでは到底期待できないのである。

その点、大阪聖書学院名誉教師、織田昭氏の「新約聖書ギリシア語小辞典」は、一味も二味も違う。織田氏は生きたギリシア語の中で実際に生活し、数学的には決して説明し切れない、生き物であるギリシア語の持つ微妙な呼吸を体得された数少ない日本人である。しかも、数学的データと生き物であるギリシヤ語の学研が上手く調和された、ギリシア語研究機関世界最高峰のアテネ大学の言語学教室で研究されたのである。

なお本辞典の特徴は前置詞の詳しい説明と約音動詞の表記方法である。大方の辞典が非約音型で約音動詞を表記しているのに対して、織田氏の辞典ではすべて約音型の表記で統一されており、約音の型は単語の後ろに括弧書きで記されている。それはとりもなおさず、新約時代には非約音型は既に廃れており、新約聖書のどこを探しても非約音型の約音動詞はひとつも出てこないという事実に基づくものである。

もうひとつの特徴としては、古典式発音と現代式発音の違いが、アペンディックスで詳述されている点である。編者はそれらを取り上げながら、ギリシア語の発音がどのように変化していったのかを明瞭に解説している。

その織田氏により第四版まで重ねられたこの「新約聖書ギリシヤ語小辞典」はギリシア語聖書読解のコンパニオンとして実に頼もしい。しかもサイズはポケット版だから、携帯に大変便利である。本書を、清い心と正しい良心(ギリシャ的表現)から、新約聖書の学徒は言うに及ばず、古典ギリシャ語、現代ギリシャ語の学徒にも自信を持ってお勧めする。

(東京のヘレニスト)


織田昭著『新約聖書のギリシア語文法』(教友社、2003) \7,140
新約聖書ギリシア語小事典の編者でもあり、アテネ大学で研鑽された、織田昭氏によって執筆された1000ページにも及ぶ大著。邦文で書かれたギリシア語文法書で、これほど詳しいものは嘗て存在したことがなかった。

内容は、既存の文法書とは異なり、これでもか、とうくらいに懇切丁寧な説明が施されている。たとえば一見不規則に見える動詞の変化の背景が歴史的に詳述されていたり、音韻論、語形論が、歴史的背景に加えて、他の言語との関わりにおいても説明されている。とりわけ統語法の論文は、これだけでも独立した書籍となり得るくらいに質が高い。

既存の文法書は「独習書」というよりは教室における「教師向け」或いは「教師付き生徒用」の教科書と云った向きがあり、大方のギリシア語学習者にとっては不便なものであった。だがこの文法書は、初級者から上級者までもが自分のペースで、挫折せずに学べるように工夫されている。例えば、初級者や中級者には専門的でややこしい説明は各セクションの後半に設けられている注に入れられている。

もう一つの特徴は練習問題の多さである。独習者は練習問題をこなしながら、各単元の習熟度をチェックできる。また、希和訳の問題だけではなく、和希訳の問題もあるので、ギリシア語から日本語への一方的思考だけではなく、日本語からギリシア語を考えるトレーニングもできる。この訓練により邦訳聖書を読みながらギリシア語原典のニュアンスを類推する癖と力量が培われるであろう。

なお、ロバートソンにも引けを取らない学術的大著であるが、織田氏の文法書は、ユーモアに溢れた、物語調のギリシア語の歴史話から始まり、誰もが世紀を通じて話され続けてきたギリシア語の躍動感を感じ、自然と、今尚生きている「新約聖書のギリシア語世界」に入っていけるように配慮されている。学習者は著者のユーモアセンスを、込み入った説明の中にも随所で発見するであろう。

(東京のヘレニスト)


「レ・ミゼラブル」
このあまりにも有名な映画のストリーに関しては多くを語る必要はあるまい。ただ、一度犯罪を犯した人間が更正することなどありえないと信じていたジャン・バルジャンを追うジャベール警部が、最後にジャン・バルジャンが本当に違う人間になっているのを否定できなくなり、今この場で彼を逮捕することが果たして本当に正しいことなのだろうか、と葛藤するシーン、に関してだけ一言コメントしよう。

もしこの場でジャベールがジャン・バルジャンを逮捕し、投獄すれば、この親子の幸せな暮らしをぶち壊してしまうことになる。ジャベールは迷った。ジャン・バルジャンを捕らえるべきか見逃すべきか・・・。

結局、ジャベールはジャン・バルジャンを見逃した。だがジャベールはいったい何に葛藤したのだろうか。それは日本語の字幕からは読み取れない。

この時ジャベールが発した言葉を日本語の字幕は「ふたつの正義の間で迷っている」と訳していたが、原語では「ふたつの犯罪(罪)の間で迷っている」と言ったのだ。この発言の背後には、西洋世界、キリスト教世界の「義」の概念が横たわっている。日本語の字幕からは決して読み取れないジャベールの発言の真意は、「逃がすのは法に照らして罪、そして、捕まえるのは、人間として、より大きな罪だ」ということなのである。

このふたつの「罪」の間でジャベールは悩み、結局、より小さな「罪」を彼は選び取った。それを彼は「正義」とは言わなかった。彼はこの矛盾を整理できないまま、その罪の責任を自らとって、川の中に身を沈めたのである。ジャベールの行動の背後に、義の神のイメージがあることは間違いない。そしてその向こうには、イエスの十字架が横たわっている。

(東京のヘレニスト)



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