:24 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、:25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」 :28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。:29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。:30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。:31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 :32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。:34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。13:35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。:37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
イントロ
降臨節(アドヴェント)を迎えました。西方のカレンダーでは降臨節は各典礼シーズンの始まり、その第一日目である降臨節第一主日は教会暦の元旦に当たります。
I. 至聖所の大祭司イエスの捧げもの
私たちは先週の日曜日に収穫を祝い、収穫の主に感謝をお捧げ致しました。より正確に申し上げるならば、必ずしもすべてが感謝であるとは言い難い私たちの正味の一年を丸ごと主の元に携え出て、「『憐れみ』という名の祭壇」の前に額ずいたのです。私たちが携え出たものは、感謝の念を吹き飛ばしてしまう苦役であったかもしれません。私たちが吐露したものは歓びをかき消してしまう呟きや呻きだったかもしれません。けれども、私たちは、同じ主を信じる共同体として主の御前に進み出ました。人としての喜怒哀楽を共有する共同体として至聖所の中へと進み出たのです[1]。
その時私たちは何を見たか。御座の前で何を見たのか……。そこにはイエスと言う名の大祭司がおられました。この大祭司は己が身を捧げものとして携え、祭壇の前に立っておられました。その捧げ物は主ご自身でした。汚れのない至高の捧げもの、世の罪を取り除く神の子羊です。
このお方をヘブライ書の著者はこのように叙述しました。
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく…あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。…この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。この方は…ただ一度、御自身を献げることによって、[贖いを]成し遂げられたからです。(ヘブライ人への手紙2:17-18;4:15;7:25、27b)
けれども私たちが見た捧げものはそれだけではありません。主は手の中にもう一つのものを携えていたのです。それは……私たちの喜怒哀楽です。私たちが神の御前に携え出た私たちの全存在です。主イエスは、息つく暇もなく一年を生きてきた私たちのありのままを引き受け、至聖所の父なる神の元に携え上って下さいました。それ故に、私たちは過ぐる一年間を清算する決心をし、主に感謝をお捧げすることができたのでした。そして未来に向かってこのように宣言したのです。
憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ人への手紙4:16)
II. 降臨節(アドヴェント)の心
教会の新年が明けました。永遠の大祭司イエス・キリストにあって、私たちは「新しさ」に招かれ、「新しさ」を頂きました。主に導かれて今一度、神の至聖所へと進み出たのです。その「新しさ」に相応しく教会もクリスマスの色に染め上げられています。何とも浮足立つような、心をそわそわさせるデコレーションではありませんか。その魅力に誘われてか、去年、『クリスマス・キャロル』(ディッケンズ)のスクルージならぬ吉良家の松風は、クリスマス・ツリーに括りつけられているクリスマスプレゼントを模した箱型オーナメントを開けてしまいました(より正確には破壊した)。当然何も入っていません。大人はさすがにオーナメントの中身を覗いてみようとは思いませんが、私たちも常緑樹(エヴェーグリーン)を模したクリスマス・ツリーのシンボリズムに心奪われませんか。ここにあるツリーがたとえプラスチックであったとしても、常緑樹のイメージに込められた命の源であるイエス・キリストの御降誕に思いを馳せませんか。そわそわするな、喜ぶな、と言う方が無理なのです。主が来られるのですから。
さて、本日のマルコ福音書の言葉を思い出しましょう。冷や水を浴びせるつもりはないのですが、降臨節のメッセージは実は、「そわそわ」でも「浮足立つ思い」でも「喜べ」でもありません。当然のことながら、米国のブラックフライデー[2](感謝祭の翌日)のような「浮かれよ」でもありません。主の到来を待ち焦がれるのですから私たちが喜びに包まれるには当然ですし、何となくウキウキしながらブラックフライデーセールに飛びつく心理は理解できます。もし私もその中にいたならば、他の国の風物詩に半ばあきれつつも、ニンテンドーWiiを目指して人ごみの中に突撃したでしょう[3]。けれども、降臨節のメッセージは「喜べ」ではないのです。
では、降臨節の心は何か。マルコ福音書は目の醒める物言いでそれを伝えています。
その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。(マルコ福音所13:32-33)
降臨節の心は「目を醒ましておれ!」です。降臨節の典礼色の一つである「紫」は禁色ではありません。そのような高貴な意味合いなど微塵もないのです。典礼における紫は悲しみ、苦しみを表現します。受難節であればイエスの十字架の苦しみを、降臨節であればイエス誕生の産みの苦しみです。双方とも私たちに悔い改めを促すのは言うまでもありません。主の降臨に関し言えば、私たちの「マラナ・タ」(主よ、来て下さい)への期待は、「アドヴェント・クランツ Advents Kranz」(クリスマス・リース)の蝋燭に炎を燈した瞬間から最高潮に達します。私たちが燈す一本一本の蝋燭は、主の降臨の期待を熱烈に現わし、私たちの目を醒まし続けるのです。
教会の外の人たちはアドヴェント・クランツの蝋燭に対して幻想的なイメージをお持ちかもしれませんが、その輪の中で光輝く蝋燭の灯はクリスマスの雰囲気を盛り上げるおもちゃではありません。主がいらっしゃるまでの日々を「目を醒ましながら」数え上げる可視的道具です。この風習が始まった北国ドイツでは冬は日が短く、午後四時には真っ暗になりますから、蝋燭の灯がどれ程の意味を持ったか、想像に難くないでしょう。蝋燭の灯は、人々に「暗闇から光への期待」と「主が来られることへの覚醒」を呼び覚ます世の光のシンボルとなったのです[4]。
III. 日常であっても非日常であっても目を醒まして主に信頼
それにしてもマルコ福音書の言葉は驚きに満ちています。主イエスはご自身の再臨の日を父なる神以外は誰も知らないと言うのです。天使でさえも知らない。しかも極めて日常的な書き方で「だから目を醒ましておれ」と主は言われる。
「それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ福音書13:34-37)
けれども、主が再び来られる時の描写は黙示文学の形式で極めて非日常的です。
「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(マルコ13:24-27)
そして、そのサインは、比喩的な言及であれ、素材はこれまた日常的なものなのです。
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。(13:28-29)
はたして私たちは主の来られるサインを目ざとく見抜くことができるでしょうか。
「いや、収穫感謝礼拝が終わったばかりだ。この一年間を生き抜くだけでも大変だったのに、再臨のサインなどに注意を向ける余裕などない。主が来られる時に我々があたふたしても仕方がない。主は来る時に来られるのだから。」
こんな意見も出てきそうです。私も同感です。であればこそ、主イエスはこのような言葉を残して下さいました。
はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マルコ福音書13:30-31)
「これらのことが皆起こるまでは、この時代は決して滅びない。主の言葉は立ち続ける。」主のお言葉をよく読むと、緊迫した文言の中に「シャローム」(安かれ)の一言が聞こえてきます。
「君たちがちゃんと目を醒ませていられるように、主の再臨のサインを目ざとく看取することができるように、この時代が滅びるのはすべてのことが起こってからだ。安心しておれ。たとえこの世が滅びても、私の言葉は決して滅びないのだから。私と私の言葉に信頼していればよいのだ。急がず焦らず、落ち着いておれ。」
結び
今一度ヘブライ人への手紙の言葉に聴いて、奨励を閉じましょう。
わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。(ヘブライ人への手紙4:14)
[1] ここからの下りは新約聖書「ヘブライ人への手紙」の中に描かれている古代ヘブライ宗教の幕屋礼拝と大祭司職の機能と特質を理解しなければ理解するのが困難です。馴染みのない方はまずは「ヘブライ人のへの手紙」を通読してみて下さい。旧約聖書に登場するヘブライ宗教の文脈で「ヘブライ人への手紙」を読み解くためには注解書を片手に読むのがベストですが、短いながらもしっかりした注の付いているフランシスコ会聖書研究所訳の『新約聖書』(サンパウロ; 合本改訂版:2004)や2011年8月に完成した旧新約聖書全巻合本『聖書―原文校訂による口語訳』(サンパウロ; 同会聖書研究所訳注:2011)は聖書本文のすぐ脇に注が付されていますので、手軽且つ便利さという点で個人的にお勧めです。
参考までに、私個人が大きな示唆を受けた注解書をご紹介します。
@F. F. ブルース『新約聖書注解:ヘブル人への手紙』(宮村武夫訳、聖書図書刊行会)1978。
原著:Bruce, F. F. New International Commentary on the New Testament: Epistle to the Hebrews (William B. Eerdmans Publishing Company), 1964.
AT. G. ロング『現代聖書注解:ヘブライ人への手紙』(笠原義久訳、日本キリスト教団出版局)2002。
原著:Long, Thomas G. Interpretation, a Bible Commentary for Teaching and Preaching: Hebrews (Westminster John Knox Press: 1997.
[2] 米国では感謝祭翌日(金曜日)からクリスマス商戦が始まり、小売店が黒字になったことからブラック(黒字)フライデーと呼ばれる。もっとも不景気のあおりを受け、今年は黒字になるかどうか。メディアは中国マネーがそのカギを握っている、と言っていますが。
[3] 二年前、運動不足解消のためにWiiを買うかどうか迷いながら、テレビの前で運動をするのはアホらしい、とインラインスケートを購入した。しかしながら、当地めじろ台は坂だらけ、おまけにスケートに適した公園がないので、せっかく手に入れたインラインスケートを有効活用できていない。というわけで、今心はWiiにシフトしています。
[4] アドヴェント・クランツの由来には様々な説があるが、J・H・ヴィヒャーン(1808-81)がハンブルクにある子供たちの施設「ラウエス・ハウス」(粗末な家)で初めて行った、と言うのが有力。当時はクリスマスまで毎日1本ずつ蝋燭を灯したらしい。1860年以後は、ベルリン・テーゲルの孤児院にもこれが広められた。
アドヴェント・クランツよりも歴史の古いクリスマス・ツリーに関する言及ではあるが、オスカー・クルマンの「モミの木に蝋燭を飾り付ける習慣の起源」の紹介は興味深い。少し長めだが下記クルマンの本から引用しよう。O・クルマン『クリスマスの起源』[第四版][土岐健治・湯川郁子訳、教文館:1999]101-102(原著:Cullumann, Oscer. Die Entstehung das Wiehnachtsfestes und die Herkunft das Weihnachtsbaumes [Stuttgart: Quell Verlag], 1990)。
19世紀になってようやく、ろうそくを飾り付けたモミの木が、たとえばゲーテ(1748-1832)の『若きウエルテル』やユング=シュティリング(J・H・Jung-Stilling[1740-1817])〔敬虔主義の医者で、ストラスブール時代の若きゲーテの友人〕の1793年の著作などに、しばしば登場するようになる。私たちのモミの木の故郷であるストラスブールに関しては、フォン・オウバーキルヒ男爵夫人」(Baronin von Oberkirch)の1785年の回想録の中に、この町では「晴れの日」(der grose Tag)が近付くと、「ろうそくとキャンディー」で飾られた大きなイルミネーションのようなモミの木が、どこの家にも用意された、と記されているのが最も古い記事である。ろうそくの登場によって、おなじみのモミの木は、何らかの意味を持つ飾り付けを完成する。
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