:30 一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。:31 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。:32 弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。:33 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。:34 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。:35 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」:36 そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。:37 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
イントロ
癲癇の少年を癒した後の出来事です。
:30 一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
「そこ」はフィリポ・カイサリア地方です。イエス一行はヨルダン川の西側に沿って南下し、ガリラヤ地方に戻り、カファルナウムに入られたのでしょう。この直前の癲癇の少年治癒の出来事はマルコの書き方によりますと、大きな騒動になってしまったようですから、イエスは益々人々の注目を集めようになったのでしょう。人々の中には当然、癲癇の少年を癒した現場にいた律法学者たちも含まれます。
I. 第二回目の受難と復活予告
マルコ福音書に出てくる典型的なパターンです。人々の注目を浴びた後は必ずと言って良いほどイエスは人目を避けようとどこかへ引っ込まれる。人々の熱狂を覚ますため、という側面もあったかもしれませんが、祈るため、そして何よりもエルサレム入り――つまり受難への道を本格的に歩まれるに当たって、「弟子たちの教育に集中するため[1]」だったのでしょう。マルコ福音書の行間にはそのような切迫感が感じられます。
主は再びご自身の受難と復活を告知されました。
:31 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
第一回目の受難予告はフィリポ・カイサリアへの途上でなされました。第二回目の今回はガリラヤです。マルコ福音書を概観しますとガリラヤを主要舞台とする主イエスの神の国運動が終局に差し掛かった時に発せられた主の言葉でした。10章からはユダヤ地方に入り、十字架刑が待つエルサレムへと歩みを進めるのですが、第三回目の受難告知(10:32-34)に至っては、ユダヤ地方に足を踏み入れた後、「エルサレムに上る途上」とわざわざ明記されています。マルコは暗示しているのでしょう。ガリラヤの片田舎で始まったイエスの神の国運動は、弟子たちや民衆の熱狂や無理解をよそに、確実に十字架への歩みであったことを。エルサレムから距離的に一番遠いフィリポ・カイサリアで主は初めて受難を告知されました。二回目はよりエルサレムに近いガリラヤ、三回目はユダヤ地方のエルサレム途上です。マルコは描くのです。神の国運動が民衆を魅了し大きく成長すればすれ程、ファリサイ派(後には神殿貴族階級のサドカイ派)との軋轢が大きくなり、エルサレムへ近づけば近づくほど彼らの妬みと嫉妬を増幅させることを。
II. 弟子たちの無理解再び
弟子たちには奇異だったでしょう。弟子たちの目にはフィリポ・カイサリアでのイエスの神の国運動は成功を収めました。ガリラヤでの活動も大成功です。それにも拘わらず、イエスは成功を収めるごとに受難と復活を告知するのです。
弟子たちが鈍いのか、イエスひとりが突っ走っていたのか……。福音書の全体を知っている今の私たちには自明のことでも、仮に私たちも2000年前イエスに傍らにいてその発言を聴いていたなら理解できなかったかもしれません。そしてペトロ始め他の弟子たちのように頓珍漢な言動をしたでしょう。最初の受難予告の際いさめるペトロを叱り、弟子たちにおっしゃった主の言葉を果たして私たちが理解できたでしょうか。
わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである(8:34-35)。
もう一度意問いたいと思います。私たちにはこの言葉を理解するこができたでしょうか。
もしこの言葉を即座に理解できたのであれば、本日の聖書個所後半に出てくる「弟子たちの内で誰が一番偉いか論争」など始める余地はありません。先取りになりますが、三回目の受難告知後のゼベダイの子ヤコブ、ヨハネ兄弟の「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」(10:37)という権威欲丸出しの発言などは論外、と笑い飛ばせるはずです。けれども私たちの現実は、先程問うた問いを現在形で今一度問うことを要求するのです。私たちはこのイエスの言葉を今日理解できるのか否か、と。
残寝ながら、この論争は皮肉にもイエスの時から今日まで繰り返されています。キリスト教会の歴史を瞥見して明らか、というだけではなく、今日の教会的光景の中にも散見されるのです。「誰がより信仰深いか、どの教会がより主に喜ばれているか、どの教派がより正統的か、云々。」 自分をも遠目から眺める視点(自己相対化)を持つ者や他者が客観的に論じる「吟味」であれば、このような問いは真実なものとなる可能性を秘めているでしょうが、他との比較に基づく自画自賛やその真逆の自己嫌悪のレベルであるならば頓珍漢な弟子たちとどこが違うというのか。このような状態の時私たちは恐らく後に続くイエスの言葉を理解することはできないでしょう。そもそも耳にも入らないかもしれません。
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」(8:36-38)
講壇から告白するのは恥ずかしいのですが、主の言葉などどこへやら、この「最高の愚」を時折私自身も己の中に発見するのです。
主はご自身の受難を宣言されたのでした。切実な告知です。直線距離で約150キロ先、エルサレムの丘に立つ荒削りの十字架を見据えてご自身の磔刑死と復活を語られたのです。
III. 「子供のように」に込められた心
イエスの二回目の受難告知に弟子たちは無言でした。
:32 弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
弟子たちはつかみどころのない主に抱き始めた「自分たちの懐疑」に恐ろしくなったのです。イスラエルに劇的革命(政治的民族解放)をもたらすはずであった自分たちのラビ、イエスの言動が今ひとたび、自分たちの理想から遥か彼方に遠ざかってしまった。なぜラビが死んで復活すると言うのか、なぜ革命の闘志が革命を諦めたように敗北による死を口にするのか。イスカリオテのユダも相当動揺したに違いありません。
弟子たちは膨れ上がる疑いを振り払うかのように、更に先を急ぐイエスの後ろである議論を始めます。
:33 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。:34 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。
この期に及んでと言う感じですが、彼らが求めていたのは究極のラビ、革命家イエスであったとこを考えますと、その弟子たちが誰が一番偉いかを議論し始めたとしても不思議ではありません。ユダヤ教のラビの門弟間には確かに序列がありましたが、宗教革命家の側近は、革命が成功した時、宗教的のみならず政治的にも重要なポジションに登用されるのが常なのですから。イエスをイラン革命のホメイニとダブらせれば行き過ぎの誹りは免れませんが、弟子たちの思い描いていた理想はホメイニ革命のような劇的イメージであったことは間違いありません。
さて、イエス一行がガリラヤ湖北北岸の村、カファルナウムに到着した時、答えるには大変恥ずかしい問いを弟子たちは主イエスから受け、口ごもります。イエスと彼らの間に少し距離があったのでしょうか。主はそんな彼らを呼び寄せ(フォノー)、じっくり語り聞かせるのです。
:35「イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」:36 そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。:37 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
ラビ文化の中では異色の発言でしたが、イエスの在り方を思い返せば弟子たちも多少は理解できた筈です。ちなみに、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」のギリシア語原文は韻を踏んだリズムの良い文章なので、マルコ福音書の読者には印象深く残ったでしょう。「もし第一の(プロートス)者でありたいと望むなら、全ての者の最後たれ(エステ パンドン エスハトス)、全ての者の奉仕者たれ(ケ パンドン ディアコノス)。」 けれども文章のリズム以上に強烈な言葉が使われているのです。「ディアコノス」です。英語では deacon、日本語では執事などと訳されていますが、サウンド・オブ・ミュージックのトラップ家に仕える butler の如き格好良い存在ではありません。「ディアコノス」は「奴隷」とほぼ同義語です。当時のパレスチナが階層社会であったこと思い出して下さい。社会的身分とのイメージリンク無しには「奉仕者」を考えることはできなかったでしょう。イエスはこう言われたのです。「君たちの回りにいるだろう。裕福な者たちの所有であるあの奴隷たち、召使いたちだ。君たちの内で一番(プロートス)[2] になりたい者は、為政者(プロートス)とは真逆の最後の者「ディアコノス」になるのだ。」 イエスの少し意地悪な含み笑いがまぶたに浮かびます。
更に、福音書の読者は韻の効果の何十倍も大きなショックを受けることになります。イエスはどこからか一人の子供を連れて来て、弟子たちの真ん中に立たせたのでした。そしてその子を抱き上げて言われたのです。「これだ!」 強烈な視聴覚教材でした。
:37 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
ショックと言いましたが、偉いなりたい者こそ社会的弱者を受け入れよ、という表面的言葉面に読者がショックを受けたのではありません。「子供の純粋さを弟子の姿勢として美化している」など解説する本もありますが、そんな牧歌的世界などここにはないのです。弟子たちも福音書の読者もここで「子供」が登場した事実に相当困惑はずです。なぜなら、この視聴覚教材は「無力」そのものだったからです。社会が不安定でお金に余裕のない者は医者にも掛かることのできなかった当時のパレスチナでは、今以上に親のいない子供が多かったと思われます。つまり、子供は社会全体で庇護すべき存在だったのです[3]。主イエスはそんな子供を両腕に抱き抱えて言われました。「私の弟子はこのような存在を受け入れるのだ。それは驚くなかれ、天の父を受け入れることに他ならない!」 イエスはユーモアセンス全開で弟子たちに語りかけるのですが、その瞳の奥には深い悲しみが潜んでいたはずです。
「お前たちはそんな父のお心も分からず、偉い順番を競い合っているのだ。神殿貴族のサドカイ派、祭司集団などは言うに及ばない、ファイサイ派もだ。あの祈りの家にもはや父はいない、彼らには父の涙が見えない。だから私は十字架に架けられ、復活しなければならないのだ。」
結び
主イエスの第二回目の受難告知と弟子たちの競争心のギャップをから発せられた主の福音に耳を傾けました。
唐突な想像ですがふと思ったことを述べて奨励を閉じましょう。
この時パウロはファリサイ派の一員としてどこかでイエスの噂を聞いていたはずですが、彼はイエスという人物に何を感じ、何を思っていたのか。パウロが書いたフィリピの信徒への手紙からその片鱗を読み取れるかもしれません。
わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。(3:5-6)
パウロがファリサイ派の新進気鋭の律法学者として活動していた若かりし頃は、イエスは律法の義を無視する無法者、そんな風に主を理解していたのだろうと思います。事実イエスの門徒をパウロは徹底的に迫害しました。
けれども、そんなパウロが復活のイエスと出会って変えられたのでした。相当荒いショック療法でそれまで持っていた地位や名誉や恐らく家族も失いましたが、彼は新しい十全を得たのです。イエス・キリストの復活の命、聖霊による新生、聖霊の内在です。彼は変えられました。気性の激しいパウロが変えられるのには多くの月日を要した感がありますが、彼は確かに変えられたのです。律法の中に、神殿の中に、人々の中に、子供たちの中にイエスの涙と笑いを看取できるようになったのです。
パウロは続けます。
しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。(3:7-8)
最後にもう一か所、パウロが受け取ったイエスの福音、彼のイエス理解から発した信仰告白に共に耳を傾けましょう。同じフィリピの信徒への手紙二章から。
あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(ドゥーロス=奴隷)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ(イペルプソー:最高の地位に上げる)、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(2:1-11)
[1] 川島貞雄『マルコによる福音書』(教文館:1996)152。
[2] 「プロートス」は主に政治的支配者に使われていた言葉なので、読者が受けたショックの大きさがどれ程であったか想像に難くない。
[3] 田川建三『新約聖書・訳と註 マルコ福音書』(作品社:2008)317-319。この個所の田川の注も田川節満載だが、氏の様々な経験が反映されていて興味深い。ただ田川が言及する研究者たちはどれもひと世代もふた世代も前の研究者なので(ちなみに、本注では一番新しくてトロクメ)、それこそ現代の研究者たちの研究批評、批判を聴いてみたい。たとい田川にとっては取るに足りない研究者であってでもである。 |