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20011/10/16  「キリスト信仰者の源泉」 ――祈りと信頼―― マルコによる福音書9:14-29

:14 一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。:15 群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。:16 イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、:17 群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。:18 霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」:19 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」:20 人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。:21 イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。:22 霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」:23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」:24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」:25 イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」:26 すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。:27 しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。:28 イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。:29 イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。

イントロ

 本日の福音書のエピソードの基本構成は、イエスのこれまでの悪霊祓いと趣を異にします。第一に、弟子たちが悪霊祓いに挑戦し失敗したこと。第二に、エクソシズムに失敗した弟子たちを、「いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」とイエスは激しい言葉で叱責する。第三に、イエスの癒し行為の背後には祈りがあった、ことをこれまでになく踏みこんで強調している点です。それが何を意味しているのか。しばし福音に聞きましょう。

I.                  悪霊を追い出すことのできない弟子たち

:14 一同が[1]ほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。

 場面はイエスの変貌の出来事の後、イエスとペトロ、ヨハネ、ヤコブが山から下ってくると、他の弟子たちが群衆に取り囲まれ、律法学者たちから詰め寄られています。群衆が見守る中、弟子たちと律法学者たちが互いに言い争っていた(スィンズィトー)のです。「スィンズィトー」(「共に」(スィン)と「探し求める」(ズィトー)で構成された語)原意は「共に探し求める」ですが、マルコが報告する状況はそんな真理探究のアゴラやフォルムではありません。弟子たちは巡回治癒のラビ、イエスの門弟としての力を発揮することができず、律法学者たちの攻撃にぐうの音も出なかったのです。
ところで、「イエスの治癒活動は分かるけれど、イエスの弟子たちも治癒活動をしていたのか?」 このような疑問を抱かれる方は少なくないでしょう。使徒言行録にはイエスの弟子たちの悪霊祓いや病気の治癒行為が記されていますが、確かに福音書にはそのような記録はありません。けれども、弟子たちもエクソシズムや病気癒しを実践していたことを間接的に暗示するエピソードが同じマルコ福音書9章後半にあります。

ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。(9:38-40)

 もとより主イエス御自身が、十二弟子を選定された時このように仰いました。同じマルコ福音書の記述です。

イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。(3:13-15)

悪霊祓い(=病気癒し)は既にイエスの弟子の働きの中に含まれていたのです。病を癒すこと、悪霊を追い出すことが罪の赦しの宣言に他ならなかった当時のユダヤ宗教社会を考えれば必然かつ必須の権能だったのかもしれません。

 本日のマルコの記事を読み説くにあたり、巡回治癒行為はイエスやイエスの弟子たちだけの専売特許ではなかったことも念頭に置く必要があります。ユダヤ教のラビの中にも宗教的治癒活動をしていた者たちがいたのです。ルカが使徒言行録で報告しています。

神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。…ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」 そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。(使徒言行録19:11-16抜粋)

吉本喜劇にでも出てきそうなユニークなエビソードです。

 このような宗教的事情がありましたので、弟子たちと律法学者たちの論戦中、山から下ってきたイエスを認めた群衆は、イエスに事の次第を報告せずにはおれなかった。

:15 群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。

彼らがイエスのシンパであったならば、不甲斐ない弟子たちが作り出した重苦しい空気を打破するイエスの突然の登場に驚き、喜んだのでしょう。

 するとイエスが問い、群衆が答えます。

:16 イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、:17 群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。:18a 霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。」

 どうやらイエスの弟子たちはある少年を癒そうとしていたらしい。彼の父親がその少年をイエスところに連れてきたものの、イエスは不在であった。その少年は聾唖である、とありますが、所かまわず卒倒し、口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせる、という症状を考えますと、癲癇持ちだったのでしょう。もっとも「癲癇」(epilepsy)とは現代の私たちに明白であるだけであって(事実、「エピリプティコス」での用例は新約聖書に登場しない[2])、古代パレスチナの住人たちには「悪霊の仕業」に他なりませんでした。 
  困惑する少年の父親を代弁して群衆はイエスに訴えます。

:18b この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。

 弟子たちには癒すことができなかった。この事実が突き付けたことは、律法学者には同業者としてのイエスの正当性と真正性への攻撃材料の提供、群衆には「インマヌエル(神我らと共にあり)は本当か」という深刻な懐疑です。その両方を複雑な気持ちで自らに問うたのは何よりもイエスの弟子たちだったでしょう。「なぜ、俺たちには癒すことができないのか…。」

II.                  イエスの嘆息

:19 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」

 ずいぶん辛辣な主イエスのお言葉ですが、その心は何だったのでしょうか。山の上でイエスの神的顕現(transfiguration)を目撃したヨハネ、ペトロ、ヤコブは信仰深く、下界で右往左往していた弟子たちは信仰がなかった、という対比でしょうか。もちろんこの推論は外れです。山の上の三人の弟子たちも目の前で展開する出来事を消化することができず、オロオロして「非常に恐れた」とマルコ福音書は記しています。父なる神が語りかけられた「これはわたしの愛する子。これに聞け」という言葉が狼狽する三人の弟子たちの耳に入ったかどうかは、彼らの後の言動を観察すると疑わしい。 
  主が言わんとしたことを理解するヒントは、このエピソードの一番終わりにある少年を癒した後のイエスの言葉です。

:28 イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。:29 イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。

 「この種のもの」の 「この種」(ト ゲノス)は語源的に「種類」「一族」という意味が含蓄されています。本エピソードの文脈では「この手の厄介で強力な悪霊は」という意味でしょう。とすると「この手の厄介な悪霊は祈りによらなければ退治できない」とイエスは言われたことになります。しかし疑問が湧いてきませんか。「では、祈りによらなくてもやっつけることのできる悪霊や病気はあるのか?」 さて、どうでしょうか。結構難解な個所ですが、私なりに消化した現時点での理解を述べたいと思います。
  キーワードが「祈り」であることは言うまでもありません。しかし、イエスは平面的に「祈りが必要なのだよ」とおっしゃったのではなかった。「祈りによらなくとも実行可能な癒しがあるよ」などと暗示したのでもなかった。実は、主の「この種のもの」という言葉には「お前たちは祈ったのか!」という語気が込められていたのです[3]。「祈りによらなければ」は直訳しますと、「もし祈りによらないのだとしたら」(イー ミー エン プロセヴヒ)です。恐らく弟子たちはイエスの権威を笠に着る「格好」だけで、悪霊を追い出そうとしたのでしょう。自分たちの力でコントロールできると過信していたのです。そこには神への信頼はありませんでした。当然、イエスがキリスト、約束の救い主であるという理解もありません。主が陰でいつも祈られ、父なる神に全幅の信頼をおいていたことも忘れていたでしょう。
  悪霊祓いに失敗した弟子たちは、己の力の誇示という仕方でエクソシズムを試みたのではないかと思うのです。彼らはイエスの弟子である、ということだけにのぼせあがり、イエスから与えられた「カリスマ(恵み)」(十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け…[6:7])をいつでもどこでも自分の裁量で行使することができると自力に信頼し、自己過信していたのではないかと思うのです。このエピソードの後に出てくる同じ9章の挿話はその証左、当然の帰結でしょう。

一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。(:33-34)

 このエクソシズム失敗という出来事が暴いた事実、それは「悪霊の種類」云々ではなく、弟子たちの「信仰の種類」でした。彼らの神との関係にある「思い」です。イエスが辛辣な言葉で嘆かれた理由はここにありました。

III.                  それでも信じるか

 弟子たちのお粗末なエクソシズムとその失敗を経験した少年の父親はどのような心境だったでしょうか。「この程度の弟子たちの親分だ、息子を治すことなどできはしまい」と内心諦めていたでしょうか。現実は極めて深刻だったのです。今この時も我が子は引きつけを起こし、地面に倒れ、口から泡を吹き、白目をむいている。途方に暮れている少年の父親にイエスは尋ねます。「このようになったのは、いつごろからか。」 「いつからこうなったのですか?」 拍子抜けする極めて普通の質問です。けれどもどういう訳か、常に先を急ぐような書き方のマルコ福音書にあって、イエスのこの言葉は他の福音書の平行個所にはなく、マルコ福音書にしか保存されていません。注解書を片っ端から漁れば「宗教治癒者としてのたち振る舞いである」なんていうコメントが出てくるかもしれませんが、理由は分かりません。理屈はともかく私はこの極めて普通のイエスの言葉を記録したマルコには感謝しているのです。主の極めて平凡な言葉から主のぬくもり、温かさを感じるからです。達観した宗教的達人とは大違い、民衆の中で民衆の一人として民衆に寄り添う主の温かさです。
  さて、イエスの平凡な言葉は、少年の父親から長年の苦悩を吐露させました。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。」 今日風に言えば「何度も癲癇の発作が起こった」でしょう。米国留学中学生寮の学友となり、その後アパートを一緒に借りて住んだ友人も癲癇持ちでよく発作を起こしましたから、状況はほんの少しだけ分かります。火の中水の中ではありませんが、大変なことが何度もありました。例えば…

 この友人ジョンは学生寮でもたびたび発作を起こしましたが、ある時など二段ベッドの上段から転げ落ち、コンクリートの床に頭を打ち付け救急車騒ぎとなりました。当時寮長であった私は、彼のルームメートのインド人学生から「大変だ!」と夜中に叩き起こされたのです。曰く「何がなんだかさっぱり分からないが、ジョンが二階から落ちてきた。まるで悪霊に憑かれているようだ!」(インド人学生が受けた素の印象です)。
  また、こんなこともありました。高速度道路で自動車を運転中に発作を起こし、中央分離帯に突っ込むという大事故を起こしたのでした。彼が以前から心を寄せていた女子学生を始めてデートに誘ったその日の出来事です。本人と同乗者、また周囲の車も大事に至ることはなく皆で安堵しましたが、車は廃車となり、ジョンの運転免許証もイリノイ州から没収されました。デートもパー。実は、彼はほぼ毎晩癲癇の発作を起こしましたから、運転すること自体が無茶だったのですが[4]。

 少年と父親の話に戻ります。今一度思い起こしましょう。ユダヤの宗教社会にあって癲癇は単なる病気ではなく「悪霊憑き」とみなされていた事実を。それが意味したことは「罪人である」こと、「神から見放されている」ということでした。つまり、少年と父親の悩みは、彼か父親か母親か祖父か祖母か、誰かしらの罪の結果こうなったのだ、というレッテルを、宗教者を始め社会全体から張られて生きることだったのです。少年の父親がどれだけの望みをかけてイエスの元にやってきたか、イエスが導きだしたこの一言で十分でしょう。「幼い時からです。」
  父親は続けます。「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」 ギリシア語原文には「何か」(ティ)という言葉があります。「もし何かできることがあるのであれば」です。あの弟子たちの体たらくを見た後ですから、この消極的な言葉は無理もありません。けれどもイエスは激しく迫るのです。「『できれば』[5]と言うか。信じる者には何でもできる。」 少年の父親は叫びます。「信じます。信仰のない私を、信頼の欠落した私をお助けください!」(:24)

 この時主はどんな顔をされたでしょうか。ニコッとされたか、父親の顔をじっと見つめられたか…。 
主イエスは強調の人称代名詞一人称を使って悪霊を叱り、全世界に向けて福音を宣言します。

:25b「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」

 「他ならぬわたしが命じる!」と主イエスはおっしゃった。

:26 すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。:27 しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。

 少年と父親はユダヤ社会の罪のメタファから解放されました。人間性と人間存在を徹底的に否定するユダヤの教条主義に死に、イエスの命に蘇ったのです。イエスのたぎる命の世界に新生したのです。人間存在の全的回復が彼らに生起したのです。涙を流して抱き合う親子の姿が見えますね。

結び

 少年とその父親が経験した福音に聴きました。このエピソードで弟子たちは不甲斐ないのですが、その不甲斐なさがもうひとつのイエスの福音宣言をもたらした、と考えれば、使えない弟子たちもご愛嬌です。少年も父親も弟子たちも、主イエスに信頼することの何たるか、を福音の中に聴いたのですから。

 ちなみに、この弟子たちは、主イエス復活、聖霊降臨を経て、大きく変えられます。

主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」(使徒言行録4:29-30)

主イエスの弟子たちは力強い祈りを捧げながら、「祈れ!」と言われた主イエスの言葉を苦笑いしながら思い起こしていたかもしれません。同じくイエスの弟子である私たちには慰めであり、励ましですね。


[1] 田川建三訳著『新約聖書・訳と註 マルコ福音書』(作品社:2008)310。
[2] 「エピリプティコス」の形ではヒポクラテスの『アフォリズム』(2.45)、アリストテレスの『プロブレーマタ』(953.16)(Liddle & Scott, Greek-English Lexicon. [9th edition])
[3] イエスの「祈りのみ」との強調は、ユダヤ教において申命記の「シェマー」(6:4-6)、詩編3編、91編の暗唱が、悪霊祓いの強力な手段と考えられていたことを考えると革命的である(G. Minette de Tillesse, H. Riesenfeld, Arsbok in William L. Lane, The New International Commentary on the New Testament: The Gospel of Mark, 335)。
[4] もっとも、この話には落ちがあります。彼らは事故処理に駆けつけた警察官から近くのパーキングエリアまで運んでもらったのですが、恐怖心がまだ冷めやらぬ同乗者キャサリン嬢にジョンがぼそっと一言。「ちゃんとデートはできなかったけど、僕と付き合ってくれますか。」 その話を聞いた私ともう一人のルームメート、クリストファは「ジョン、お前はある意味すごい男だ……。ところで返事は?」「『ノー』だって。」「まあ、そりゃ無理もない…。」けれども人生面白いですね。現在彼らは夫婦です。私がめじろ台キリストの教会牧師に就任して日が浅かったにもかかわらず、教会の皆さんのご理解を頂いて渡米出席した結婚式は、このジョンとキャサリンのものでした。私は新郎の介添人(gloom’s man)として臨席したのです。
[5] 引用や強調時に使う冠詞「ト」が入っているので、田川は「もしもできれば、ですと?」(田川建三『同掲書』313)、Gouldは “That ‘if you can’” (Ezra P. Gould, The International Critical Commentary: A Critical and Exegetical Commentary on The Gospel of Mark (Edinburg: T. & T. Clark), 196)と訳している。