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2010/8/15  「空腹への挑戦状」 ――インマヌエルの真実――
マルコによる福音書 8:1-10

:1 そのころ、また群衆が大勢いて、何も食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。:2 「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。:3 空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もい る。」:4 弟子たちは答えた。「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせることができるでしょ うか。」:5 イエスが「パンは幾つあるか」とお尋ねになると、弟子たちは、「七つあります」と言った。:6 そこで、イエスは地面に座るように群 衆に命じ、七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。:7 ま た、小さい魚が少しあったので、賛美の祈りを唱えて、それも配るようにと言われた。:8 人々は食べて満腹したが、残ったパンの屑を集めると、 七籠になった。:9 およそ四千人の人がいた。イエスは彼らを解散させられた。:10 それからすぐに、弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地 方に行かれた。


イントロ

 大群衆への給食に関するエピソードは6章にも登場します。マルコ福音書8:19-20からも分かるようにマルコはこの二つのエピソードを別個のもの として見ていますが、資料的にこの二つがそれぞれ独立した物語なのか、それともひとつの伝承が二つの物語に分かれ別々に流布したものなのか、 新約聖書の研究家たちによって意見の分かれるところです[1]。この二つの給食物語はもともとひとつだ、と理解する人々は両者の間の共通項[2]や ルカ福音書では一方のみが採用されている事実を指摘します。別個の歴史的イベントだと主張する人たちも、それぞれの理解を見事な論理で弁証し ています。
もっとも、このような細かな議論は礼拝における私たちには瑣末なことです。多くの読者が「なぜまた同じ給食?」と多少疑問を抱く箇所ですの で幾つかの「解釈」を紹介しましたが、今朝も私たちは、専門的な事柄は専門家にお任せし、福音の響きに心の耳を向けたいと思います。何しろ、 本日はアジア・太平洋戦争敗戦の日ですから。


I.                  辺鄙なところで空腹を覚える群衆

 1節の「そのころ」がいつ頃であったのか、はっきりしたことは分かりません。ある人は、これはデカポリスでの聾唖者の癒し物語の続きだか ら、デカポリス地方での事だろうと、考えます。ひとつは、「そのころ」を直訳しますと「それらの日々に」であること、もうひとつは、このよう に理解しますと、6章の給食はユダヤ人のため、8章の給食は異邦人のため、と説得的に解釈することが可能だからです[3]。しかしながら、大変魅 力的な解釈ではありますが、「そのころ云々」という書き出しは、あるエピソードを紹介する時のマルコの癖のようなものですので、そこまで深読 みする必要はないでしょう。
いつだか分かりませんが、いつもの如く追いかけてくる群衆からその身を隠すためにイエスは人里離れたところにおられました。そこに大勢の群 衆がやってきたのです。イエスはそんな群衆に三日間に渡って福音を語り続けました。このような状況に、群衆は宿をどうしたのか、各々手弁当を 持参してやってきたのか、それとも手ぶらでやってきたのか、私たちは興味を覚えますが、真相は分かりません。けれども、福音書が語るこの時点 での状況は、群衆は「食べるものがなかった」のです。イエスの言葉の印象では、持ってきた食べものが三日目にしてついに尽きた、というより は、始めからほとんど食べ物を持っておらず、そのひもじい状態はこれで三日目だ、と言った感じです。
「もう三日もわたしと一緒にいるのに、食 べ物がない。」(:2b)。しかも「人里離れたところ」(荒野)で! 群衆が集まっていた場所がどれだけ辺鄙な場所であったかはイエスの言葉か らも分かります。「空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる。」(:3)。「そのまま帰らせ たら途中で野たれ死んでしまうよ」、と言うのです。
北部カナダの針葉樹林地帯やアメリカ西部の砂漠地帯に住む人々なら想像できるでしょうが、現在の日本からはこの辺鄙な場所を想像することは 難しいでしょう。いくら辺鄙な場所であっても、ちょっと頑張れば、なんとかコンビニエンスストアや最悪でも自販機には辿り着けますから。(つ いでにちょっと脱線しますが…)1998年に大阪から紀伊半島経由で実家のあった千葉県柏市まで婦人自転車で走破しました時、コンビニエンススト アの普及率に感嘆したものです。大阪から南下し、紀伊半島海岸線をぐるっと回って、熊野、尾鷲の五連続の峠を越え、松坂から名古屋に入り、東 海道をひたすら東に帰宅しましたが、三重県の原生林の中の峠を抜かして、食糧補充に事欠くことはありませんでした。何しろ、箱根峠のてっぺん にまでファミリーマートがありましたから。


II.                   内臓が引きちぎられんばかりの憐憫を感じるイエス

そんな群衆にイエスは憐憫の情を抱きます。

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来 ている者もいる。」(:1b-3)

 「群衆がかわいそうだ」と新共同訳は訳していますが、ギリシア語原典の単語(スプランフニゾメ)に込められた語気はもっと強烈です。「内臓 が引きちぎれんばかりある」「内臓が引き裂かれるようだ」(「腸のちぎれる思いがする」岩波・佐藤研訳)![4] 日本語にも「断腸の思い」な どの表現がありますが、強い感情を表すのに内臓を比喩的に使った言葉です。

 主の憐みは6章の給食の記事ではこのようにも記されています。「大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ…。」 (6:34b)。主イエスは、群衆を飼い主のいない羊のように観ていたのです。この時、イエスは民数記の言葉を思い起こしていたかもしれません。

モーセは主に言った。「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、彼らを率いて出陣し、彼らを 率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」主はモーセに言われた。「霊に 満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさ い。」(民数記27:15-19)。

イエスという名のヘブライ語はイホシュア(ヨシュア:主は我が救い)、70人訳(旧約聖書のギリシア語訳)ではまさにイイスース(イエス)で す。

 私たちの主イエスの使命は迷える羊を探し出し、神の懐に連れ帰ることでした。緋色に染まった人間の心を自らの鮮血で真っ白に清めることでし た。であるならば、肉体の空腹は二の次、どうして主はこれほどまでに群衆の空腹を憐れまれるのか、と思われるでしょうか。確かにそうです。し かし、思いださなければなりません。ここに集っていた群衆は宗教的達人集団であるファリサイ派からは「生ぬるい!」と叱咤され、神殿祭司階級 のサドカイ派からは「貧乏人ども!」と軽んじされていた、という事実を。彼らにはユダヤ教の規定をきっちりと守って生活するゆとりなどありま せんでした。もとより完全な律法の知識もなかったでしょう。そんな彼らに、イエスは何よりもまず、「その名はインマヌエル(主は我と共にあ り)と呼ばれる」というイザヤの福音宣言を、その身で徹底的に示す必要があったのです。自分たちには無関係と思っていた預言者たちの記憶―― 飢饉の時に寡婦とその子供に一握りの小麦粉と少量のオリーブ油で長期間パンを食べられるようにしたエリヤ(列王記上17:7-16)と僅かなパンと 穀物で百人の者を満腹にさせたエリシャ(列王記下4:42-44)の記憶――をその身で持って思い起こさせる必要があったのです。


III.                  イエスのレッスン

 イエス直属の弟子たちも、群衆が受けた給食レッスンの対象だったようです。主は弟子たちを脇に呼び寄せられました。マルコの文脈ですと、弟 子たちは6章の給食を目撃しながら、ここでも「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせること ができるでしょうか。」(:4)とイエスへの無理解を曝け出すのですから。

:5 イエスが「パンは幾つあるか」とお尋ねになると、弟子たちは、「七つあります」と言った。:6 そこで、イエスは地面に座るように群衆に命 じ、七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。:7 また、小 さい魚が少しあったので、賛美の祈りを唱えて、それも配るようにと言われた。:8 人々は食べて満腹したが、残ったパンの屑を集めると、七籠[5] になった。:9 およそ四千人の人がいた。イエスは彼らを解散させられた。

 群衆は、また弟子たちは、ここでインマヌエルの真実を正面から学びます。それはたった七つのパンと小魚数匹がイエスによって四千人以上の 人々が満腹するほどに増やされた、というだけの話ではありません。地面に寝そべって食事の姿勢を取りながら「そんな話は生まれたときからシナ ゴーグで聞かされてはいたが…」と疑心暗鬼であった群衆がイエスの錬金術ならぬ錬品術パフォーマンスに吃驚仰天した、というだけの話ではあり ません。インマヌエルの真実との遭遇、神が共におられると言う真実への開眼は、彼らの記憶の彼方から預言者の記憶がリアリティを持ったものと して、心によみがえり、心に刻印されるということに他なりませんでした。「賛美と祈りを唱えて」からパンと魚を群衆に配り始めたイエスの姿を 群衆はどのような思いで見つめたか想像できますでしょう。彼らは「神が共におられる」と言うインマヌエルの出来事をその全身で経験したので す
マルコ福音書の読者も、七つのパンと余ったパン屑は七籠分というのは象徴的数字から恵の充満を了解したでしょう。6章では余ったパン切れと 魚を集めると全部で12籠になったと記されていますが、12にしても7にしてもユダヤ人にとっては完全数、主の恵みの十全を表します。

「神は我々をお見捨てになったどころか、十分すぎるほどの恵みをもって養って下さる!」 

 イエスが登場して以来、多くの人々はイエスに熱狂しました。何故でしょうか…。それは「神から見捨てられている」と思っていた彼らが、イエ スの中にインマヌエルの真実を垣間見たからではありませんか。「神の祝福外」というレッテルを張られていた彼らが、主が共におられる、という 真実に遭遇したからではありませんか。

それからすぐに、弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方[6]に行かれた。(:10)


結び

 テレビニュースを見ていましたら日本における一年間に破棄される食糧品の量は増すばかり、と報道していました。2006年と少し古い資料です が、農水省による食品産業界における食料品の破棄量は1136万トンだそうです[7]。もちろん、これとは別に、家庭からの廃棄物があります。その 量の統計はありませんが、1000万トン超と考えてよい、と誰かがコメントしていました。だとしますと、日本全体では年間 2000から2200万トンの 食べ物が破棄されていることになります。その原因の一つは「賞味期限の過剰なまでの短縮記載」とその番組では報道されていましたが、大雑把に 言いますと、日本国は総じて裕福になったと言うことに尽きるでしょう。これは米国を筆頭にして、先進諸国が抱えている矛盾です。大阪聖書学院 に在籍しておりました折、1年ほど関西空港の機内食工場でアルバイトをしたことがありますが、そこでも食料破棄のおぞましい光景が毎日繰り広 げられていました。実はこの時期阪神大震災があり、対岸は神戸の火事が多発し、食糧難も発生していたのです。やるせない思いになりました。
今朝、私たちが耳を傾けた福音は、そんな日常を生きる私たちに今一度「貧しい時代の日本」を積極的な意味で思い出させてくれるエピソードか もしれません。貧しくとも皆が助け合って生きていた古き良き時代、「有難い」(impossible)という言葉を肺腑から告白していた時代です。アジ ア・太平洋戦争敗戦の日を生きたかの日の日本人がイエスによる給食の福音に聴いたならば、インマヌエルの真実を「有難う」と受け取ったかもし れません。


[1] 例えば、コールやレインのような保守的立場の新約聖書学者は、両者をそれぞれ独立した歴史的出来事と解する(R. Alan Cole, Tyndale New Testament Commentaries: Mark, 192-193、William L. Lane, The New International Commentary on the New Testament: The Gospel of Mark, 271-272)が、グールドのようなリベラルな立場に立つ学者もこの点に関しては同様の理解を示す(Ezra P. Gould, The International Critical Commentary: A Critical and Exegetical Commentary on The Gospel of Mark)。
[2] 両挿話の共通項:「寂しい場所」「イエスと弟子たちの問答」「弟子たちの困惑」「パンと魚」「群衆をすわらせるようにとの命令」「イエス の祈り」「弟子たちを通しての分配」「残ったパンくずの回収」「食事にあずかった者たちの数の報告」(川島貞雄『マルコによる福音書』教文 館、113)。
[3] 川島貞雄はその立場(同書114参照)。
[4] この語の細かな解説は田川建三訳聖書の注に詳しい。田川建三訳著『新約聖書 訳と注1』(作品社、2008)、167-168。
[5] 6章の「籠」は「コフィノス」、8章の「籠」は「スピリス」とそれぞれ違う言葉が使われている。「スピリス」は通常藺草などで編んだ柔らか い籠。「コフィノス」は柳細工などの固い籠(Abott-Smith)と区別されるが、後者の方がやや大型である以外材質からの区別は困難(Louw & Nida)という(織田昭編纂『ギリシア語小辞典』[教文館]より引用)
[6] ダマヌルタがどこかははっきりしない。ガリラヤ湖畔のマグダラ等諸説あり。
[7] http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/junkan-saisei2006/junkan-saisei2006.htm