:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。:20 そう言って、手とわき 腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。:21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」:22 そう言ってから、彼らに息 を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
皆さん、いろいろな山に登られたことと思います。富士山、浅間山、高尾山・・・。山の上で何を感じられましたか。何が起こっていましたか。私はどの山に登っても、見えざる風を目撃ました。草木を揺らす風が吹いていたのです。福音書に登場するオリーブ山でも風が吹いていたでしょう。
イエスが弟子たちとしばしば上ったオリーブ山の標高は、諸説ありますが、おおよそ825メートルと拍子抜けの高さです。標高599mの高尾山よりは多少高い山ではありますが、登るのに難儀する山ではありません(参考までに・・・シナイ山2285m、富士山3776m)。オリーブ山は旧約聖書のゼカリヤ書(14:4)で最後の審判の日に神が立ち、死者がよみがえる場所とされているため、墓地が作られるようになりました。このような場所でイエスは弟子たちを教えられ(マタイ福音書24:3など)、エルサレム滞在中の最後の夜を過ごし(ルカ福音書21:37)、捕えられる前に最後の祈りを捧げられたのです(ルカ福音書22:39)。
ちなみに、現在、山の頂にある、エルサレムの旧市街に向かって半円形にせり出したバルコニーのような展望台からは、イスラームのモスク、岩のドーム、またイエスが最後の晩餐を行ったとされている建物などを望むことができます。
先々週の日曜日には、ペンテコステの出来事を確認しました。それはオリーブ山での出来事ではありませんが、イエスが血の汗と涙を流しながら祈られた内容に聖霊降臨の出来事が含まれていたと考えますならば、オリーブ山とペンテコステの出来事はひとつにつながります。
さて、オリーブ山の上で何があったのか・・・。先ほども触れましたが、山の頂ですから、恐らく、風が吹いていたのだと思います。そよ風が強風か、知るすべはありません。霊峰富士の「霊」(風)が猛り狂うがごとき強風であったかもしれません。炎のごとき激しい風であったかもしれません。どうでしょうか。
主は風を感じながら、神の下さる「プネヴマ」を期待し、待ち望み、それが弟子たちを包み込んで守るようにも祈られていたのではないか、と私は想像するのです。そしてその祈りは、両の腕を広げ十字架の上でのたうちまわり、息絶えたイエスが復活した後に実現したのではないか。あのペンテスコテの日に。轟く神の「霊」が、「息」が「風」が、弟子たちを圧倒し、包み込んだあの時に。そう思うのです。
ところで、ペンテコステと聞きますと、今日を生きる私たちは、第三の波などと呼ばれるペンテコステ運動(カリスマ運動)とその運動から生み出された聖霊派系の教会を連想して、喜びと同時に、なんとなく違和感を抱くかもしれません。とりわけ理性主義の色彩が強いディサイプルス派の私たちは。一方的理解であるのは百も承知ですが、ストーン・キャンベル運動から生み出された「キリストの教会」というグループには、ペンテコステ運動はどうしても「ワイルド」に映ってしまうのです。私もその例外に漏れません。なにしろ「キリストの教会」の超理性的グループとアングリカニズムの理性主義の影響を私は受けていますから。一応システマチックなのです。
しかし、ペンテコステの真実は理性を超えるものである、と正直に告白せねばなりません。「神風」と言ったら叱られるかもしれませんが、神の風が吹き荒れたのです。神の息が激しく息いたのです。神の霊が力強く動いたのです。そのプネヴマが「教会」を誕生させました。この出来事を経験したイエスの弟子たちは、一時的なカリスマに陶酔するだけで終わりませんでした。聖霊に押し出され、福音の使者として世界(コズモス)の中へ飛び出していったのです。彼らの人生は使徒言行録の中に生き生きと描かれています。
39年前、私たちめじろ台キリストの教会がこの地に建てられた時にも、同じことが起こりました。あの時、神の風が吹き、聖霊がそそがれ、めじろ台教会は誕生したのです。その神の霊に支えられて過去39年間、神の国の器として養われ、用いられてきました。地域に仕え、貧しき者、孤独な者に手を差し伸べ、人生にやぶれを覚える生身の人間に、神との和解のメッセージ、キリストの希望の福音を述べ伝える務めを継続させて頂いたのです。この教会の歴史の中に、私たちは聖霊の足跡を見ることができるでしょう。
ペンテコステの真実は、Communion(交わり)、connection(繋がり)、understanding(理解)の生起です。バラバラであった人間の中に起こった調和、相互理解の回復です。我々人間は本当にそうなったのか、と懐疑を持つ方がおられるでしょうか。確かに、歴史は互いの中にある緊張、敵対心、嫌悪感を証言します。世界が縮まった現代を生きる私たちがペンテコステの出来事を「和解・調和の回復」の出来事として語り得るのか、と疑問を持つのは当然です。それにもかかわらず、私は確信を持って宣言したい。「できるのです!」 歴史を瞥見してみましょう。
13世紀のアッシジのフランシスコ、15世紀のルター、16世紀のアヴィラのテレサ、18世紀のジョン・ウエスレ―、19世紀のバートン・W・ストーン、トーマス&アレキサンター・キャンベル親子、ウォルター・スコット、ジェイムズ・オッケリー、20世紀初頭のロスアンジェルスのペンテコステ運動、世界教会協議会の設立、中葉のキング牧師の公民権運動、黒人解放運動、フェミニズム運動、20世紀後半の東ヨーロッパの解放の精神・・
・。日本には、たとえば賀川豊彦がいます。船戸良隆を挙げても怒られはしないでしょう。そしてその何千倍も知られざる和解の聖徒たちがいます。
「平和があるように。霊を受けなさい。私はあなたを遣わす。父が私を遣わしたように、私はあなた方を遣わす」。このミッションをイエスの弟子たちは受け、そのバトンを私たちも今日受け継いでいます。「信仰の継承」・・・それはこの風を受け継ぐことに他なりません。両の腕を十字架の上で広げたイエスの風、そのイエスが復活した後に弟子たちに吹きかけた息を受け継ぐリレーです。
「平和があるように」とイエスは言われました。毎日曜日の朝、私たちが確認していることは、このイエスの霊の動きです。復活の主の息の息吹です。聖霊のそよぎです。それは私たちの人生で常に「あたらしいこと」なのです。
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