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2008/06/28 「信仰の継承」 ―個人的記憶から集合的記憶へ―(キリストの教会第五主日ラリー合同礼拝)
コリントの信徒への手紙II 11:23-26

イントロ

?「信仰の継承」…なるほど。けれども「個人的記憶から集合的記憶?」…。先にお送りしたラリーの案内を見て、このように思われた方が少なからずいらっしゃるでしょう。ですので、話全体の地ならしも兼ねて、この題目に込めた根本テーマを初めにはっきりさせておきます。

「集合的記憶」と言う耳慣れない言葉は、もともと、モーリス・アルヴァクスという社会学者が提唱した概念です。英語ですとcollective memory。アルバックスがこの言葉を使って展開した議論を一言で申しますと、「記憶とは過去の言語化であり、言葉による過去の意識化」ということになります。つまり、記憶は過去を物語る歴史と密接不可分であるということです。けれども、アルバックスが云うところの「記憶」は、科学的に記録された、或いはされ得る「メモリー」とイコールではありません。そうではなく、個人的記憶や自伝的記憶を超えた、歴史的記憶乃至は社会的記憶なのです。

I. 集合的記憶と公同の福音

 本日の奨励(講演)のタイトルを「信仰の継承」と致しました。来年関東地区の有志教会で主催するキリストの教会全国大会のテーマを意識してのことですが、本日の話の文脈は大会テーマの本筋とは趣旨を異にします。ではどういった意味での「信仰の継承」なのか。それは、アルバックスの「集合的記憶」のように、信仰もまた集合的記憶であり、それは個人の宗教体験の寄せ集めというレベルを超えた、世紀を貫く「集合的信仰」であることに開眼し、その世界に参与することです。時空を超えた神との出会い、イエス・キリストという出来事の経験、主の十字架と復活に遭遇した時に経験する圧倒的命、「復活の命のたぎり」に触れたときに経験する存在の回復、を共有することです。私たちが信仰の先達たちから継承した信仰とは、形の現れ方は様々であっても、このような真実ではないでしょうか。

たしかに、具体的には、私たちは特定の個人から福音を伝達されました(キリスト教系のメディアやキリスト教書籍を通じてであったとしても人を媒体とすることに変わりはありません)。その個人は、意識しようがしまいが、気付こうが気付くまいが、何らかのフレームワーク(枠組)の中で聖書を読み、理解し、各々の人生経験に色づけされた福音を私たちに伝達しました。ドライに申しますと、それは時代と空間、歴史と文化、個人の生の体験に色づけされた、極めて主観的なものです。

私たちの運動の先達たちもこの現実から逃れることはできませんでした。キャンベル親子やストーン、スコットたちが生きた時代には「スコットランド・コモンセンス」(理性の対する信頼)がリアリティを持っており、彼らの思想のバックボーンをなしていました。けれども、今日を生きる私たちは、彼らが信を置いた理性(コモンセンス)は、限定された時代の哲学と地域文化に色づけされた「神話」にすぎないことを知っています。記憶は過去の自動的な蘇生ではないこと、そのような自動的再生が不可能なことが今日明白だからです。傷だらけの復帰運動(ストーン・キャンベル運動)はこの事実の生き証人ではありませんか

けれども、逆説的ではありますが、それだからそこ、私たちの信仰の記憶は、主観を超え集合的記憶の一部へと、個人的信仰を超え世紀を貫く集合的信仰へと、運動昇華していくのではないかと思うのです。なぜなら、一人の福音の伝達者の背後には無数の人がいるからです。一人の人だけによる福音伝道と思っていたことが、実に多くの聖徒たちに支えられているからです。彼/彼女がバトンタッチしたものは、それゆえ、個人的ならぬ「公同の福音」に他なりません。復帰運動の「夢」は、この真実に収斂するのはないでしょうか。

同様のことが、キリストの福音を受容した私たちにも言えるでしょう。私たちにはそれぞれの人生があり、歴史があり、その人生は人との出会いに満ちています。私たちは関係の生き物であり、真空状態の中を生きてはいません。このような個人が受け取った福音は、人間のチェーンの文脈上にあり、「個人的福音」のレベルには留まらないのです。留まり得ないのです。

このような公同のキリスト信仰こそ、私たちが先達たちから継承したものであり、次世代へと伝承するものに他なりません。

II. 集合的記憶と物語

この背後に何が見えますでしょうか。福音書の記録の信憑性を人の記憶の曖昧さから懐疑的に指摘するジョン・ドミニック・クロッサン(米国の新約聖書学者)には叱られそうですが、私はここに「物語化」という現象をみます。愛想のない言い方をすれば、それは「過去の経験の再構成」ということになるのですが、人間味を持って言い直しますと、人はトランス状態に陥って自動書記するのでない限り、経験を「物語る」ということです。これはクロッサンとは真逆のキリスト教弁証学の主張とも異なります。弁証学は、たとえば、福音書に記録されている十字架の出来事や復活の蓋然性を、論理学を用いて立証しようと試みますが、これもクロッサン同様科学的営為です。

米国で勉強していました時、個人的に敬愛するリチャード・ノップという弁証学の専門家から「『福音書と歴史』を切り離して考えてはだめだよ」、と口酸っぱく言われたのを懐かしく思い出します。ドイツの神学者ルドルフ・ブルトマンの「非神話化論」に啓蒙された(助けられた)私の思考の癖を知ってのことです。けれども、私にはどうも、信仰の語り、しかも集合的語りは科学の線上にはないのではないか、と思えてなりませんでした。別の言い方をしますと、「言」は「事」にあらず、ということです。言葉の集合が「事」になるのではありません。音楽に例えれば、音の集合体が音楽ではないのと同じです。音の集合体と言ってしまえば、それは雑音にすぎません。また、その集合をばらせば雑多な雑音が散らばるだけです。けれども、音楽はばらすことのできない「塊」なのです。後ろの音を受け前の音につなげていく、そこにメロティーが生まれ、その旋律に見えない人の心を乗せ、表現することができる「物語」です。聖書の「集合的記憶」もこのようなものではないでしょうか。科学的人間ならぬ実存的人間への神的物語です。

このような集合的記憶を幾千年もの長きにわたり集団の中に担保してきた人たちがいました。イスラエル人です。イザヤ書に言葉を引用しましょう。

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46:1 ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ/お前たちの担いでいたものは重荷となって/疲れた動物に負わされる。

46:2 彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず/彼ら自身も捕らわれて行く。

46:3 わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。

46:4 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。…

46:8 背く者よ、反省せよ/思い起こし、力を出せ。

46:9 思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。

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「初めからのことを思い起こせ!」。この言葉は、「言」から「事」へのいざないの言葉であり、個人的記憶から集合的記憶への招きの言葉です。時空を超えて共有された記憶は、実は「事」の体験に他ならないという証しです。「初めのこと」は誰も個人的に経験していないからです。

出エジプト記にはこのような言葉があります。

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13:9 あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。

 他にも多くの言葉を持って、旧約聖書は、個人のものではない、集団の、信仰共同体の記憶を物語ります。それらはすべて、歴史の解体への抵抗であり、新約聖書を視野に入れるならば、運動のない歴史のパッケージ化への警告です。聖書の使信は、本来、紙切れ一枚(文字の集合)では済まないのです。写真のように美しい絵の切り取り作業では意味をなさないのです。バプテスマのヨハネは、信仰の物語を失い、集合的記憶の運動を失ったファリサイ人たちに対して、「神は石ころからでもアブラハムの子孫をつくりだすことができる!」とこの真理を言い換えました。

マタイ伝の冒頭には傷だらけの主イエスの系図が記されていますが、その意図は深淵です。マタイは、イエス・キリストは人間の悲哀すべてを背負って生まれてきたのだ、という力強い宣言をこの系図の中に込めました。けれども、私たちは更に、イエスの系図がイエスの神理解と人間理解を形成し、ファリサイ派や律法学者との対決へと駆り立てたことを学ぶのです。その行間に、集合的記憶を概念化するな、紙切化するな、歴史を断片化するな、信仰をパッケージ化するな、という福音宣言を学ぶのです。使徒パウロはイエスの福音を受けて、いみじくもこう言いました。『神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。』(二コリ 3:6) 八木誠一さんのコンセプトを借用するならば、「S(主)はSであってP(従)ではない」ということです。

III. 集合的記憶の溶解

 現代人の多くは、都市化の進行と共にもののけの世界を失い(あの世への入口と民間伝承の世界に生きる人々が考えていた原っぱや森、墓場の喪失)、世俗化の侵食によって宗教を「私事化」してしまいました。その背後には、現代人を襲った核家族化が先祖との縦の繋がりを分断し、世紀を貫く「おたいせつ」との繋がりを見失わせてしまった、という事件が横たわっているのでしょう。結果、現代人は、縦ばかりか、横の繋がり、人と人の絆をも失ってしまったのです。現代人にはもはや、旧約聖書の神の記憶やイエスが何度も物語った「言」から「事」への訴えは、理解不能の記憶であり主張でありましょう。この点で現代社会は「神殺しの社会」と言うことができます。そしてそのような社会の中に住む我々は、神・カミ・仏・先祖の神的・霊的記憶の記憶喪失者と言っても過言ではありません。

その結果は毎日の新聞記事を見れば明らかです。今日世間をにぎわしている多くの事件を単純化して、「集合的記憶の溶解」「集合的記憶喪失」と言ったら言い過ぎでしょうか。その溶けだした記憶の部分部分は、安っぽいヒューマニズムやサブカルチャーといった極めて私事的な世界を作り出しているように思えてなりません。

キリスト者にとっては、イエ・ムラ社会の崩壊は、因習に囚われずに信仰生活を送るチャンスです。それはキリスト者だけではなく、因習を嫌う多くの人々にとっても、過去に囚われない生き方・死に方を獲得する機会でしょう。つい先日の新聞に、「過去にとらわれずに自分らしく」という見出しのもと、自然葬についての積極的コラムが掲載されていました。私はその記事を読みながら、個人的にはそれはそれで大いに結構と、感銘さえ受けたのですが、よくよく考えますと、事の良し悪しは別として、キリスト者にとっても、因習・伝統との決別を志向する人々にとっても、イエ・ムラ社会の崩壊は、自分たちにも痛手として跳ね返ってくるのではないかと思いを巡らせたのです。なぜなら、イエ・ムラ社会の崩壊は、日本の社会構造の崩壊を意味し、社会構造の崩壊は人間の精神の営みを根底から崩す危険性をはらんでいるからです。目下のところ社会はこの変化に対応できているようには見えません。イエ・ムラ社会に変わる地域共同体の構築も遅れに遅れているのが現実でしょう。

このような社会志向の嵐の中でキリスト教会は集合的記憶を担保できるのか否か。あるいは、教会もまたサブカルチャー化していくのか否か。もし後者であれば、斯かる教会は、キリスト者は、モノトーンで根なし草のフリーフローティングな存在になってしまうのではないか。ネット上の虚構世界にあるサイバー教会に「出席」するだけで自己満足してしまうような存在になってしまうのではないか(宗教の私事化)。そこには未来に対する生きた伝統は存在せず、すべてが希薄化したモノトーンな世界が漂うだけです。

IV. 集合的記憶と信仰の継承

 では、「福音の継承」とは如何なるものなのか。ここで考えたいことは「どのようにして」と言った方法論ではありません。私もそれなりに考えてはいますが、これという答えを提示できる段階には至っていませんので、方法論[1] に関しては、お時間のあるときに皆さんのご意見を個人的にお伺いしたく思います。

恵みキリストの教会の池田基宣さんが書かれた『教会ドッグ』ではキリストの教会の中にある「組織」に対するアレルギーが紹介されていました。「事件は構造を明らかにする」というフランス人哲学者の言葉を生々しく思いださせる事件です。けれども、フランス人哲学者の鋭い洞察は、キリストの教会の歴史でいえば、組織論だけに留まりません。私たちの過去に対する眼差しの構造をも明らかにするのです。それは、「新約聖書教会の復元」、と私も含めて、復帰運動に連なる諸教会が誇りをもって主張し、恋慕する哲学の背後に横たわる構造です。つまり、教会の長い歴史を飛び越して(無視して)、一世紀の教会に、しかも新約聖書のパターンを模写しようとするメンタリティです。

「この斯くも理想的なアイデアの事件性(弱点)とは?」と思われる方が幾人かはおられるでしょう。実は、それは私たちの「信条ではなく聖書を!」(No creeds but the Bible!)という崇高な主張の中に潜んでいるのです。この主張が、「世紀を通じた教会の伝統の欠如」という「事件」を私たちの教会の中にもたらしました。使徒信条から引用しますならば「聖なる公同の教会」(The holy catholic churchagia kaqolikh ekklhsia]という概念の欠落です。もっと私がここで「伝統」という場合、伝統主義(The dead faith of the living=生者たちの死んだ信仰)を言っているのはありません。生きた伝統(The living faith of the dead=召された信仰の先達たちの生きた信仰)を意味しています。

私たちは「過去あっての今」という真実を忘れがちです。もちろん、日本で私たちの教会を開拓された宣教師――例えば、ガルスト、スナッドグラス、マッケーレブ、カニングハム等の記憶は残っているでしょう。米国で、キャンベル親子やストーンたちから復帰運動が始まったことを知っている方も多くいらっしゃるはずです。けれども、それで終わりでしょうか。それ以前についてはどうでしょうか。教会史の教科書をひも解けば一世紀からの教会の情報を得ることは誰でもできますが(1世紀から3世紀までの情報は少ない)、その中に信仰者の世紀を通じた集合的記憶を我々は発見するでしょうか。そのような視点を持っているでしょうか。或いは、「私はプロテスタントというアイデンティティを発見する」と仰る方がおられるかもしれません。しかしながら敢えて問います。そのアイデンティティはマルチン・ルターやジャン・カルヴァン止まりでしょうか。彼らや後の改革者たちが主張したように、英国国教会やローマ教会を「だらしがない」「節操がない」と一蹴して終わりでしょうか。たしかに、そういう批判を時の教会は甘んじて受けねばならなかったでしょう。けれども、そのような土の器にも真理が盛られ、その中に「生きた伝統」が担保されてきたことに我々は慧眼を持って気付いるでしょうか。そこにもエクレシアがあり、公同礼拝であり、主の食卓(ユウカリスト)があったことを知っているでしょうか。そして何よりも、神が彼らの中に保存してくださった主の恩寵と恵みの真実に開眼しているでしょうか。

もし、私たちも自らの歴史を相対化してその真実に気付くならば、私たちはイエスの福音という集合的記憶を、先に天駆け行った聖徒たちと共有することになります。その時、聖書もまた、単なる情報言語であることを止め、人の魂に語りかける集合的宗教言語に変化します(正確には、本来の姿を取り戻すのです)。また、諸教会の伝統、とりわけ古カトリック期の教会にアイデンディティを求める歴史的諸教会の伝統に対する豊かな理解が私たちの中に生じ、そこで行われる典礼が単なる儀式であることを止めるはずです。そして、それが生きた伝統(The living faith of the dead)の入れ物であったこと、そして今もそうであることに気付くと思うのです。

教会の歴史の切り取ることのできない連続性の中に聖霊の足跡を発見した時、「言」は「事」に昇華します。その時、私たちが捧げる礼拝に「物語」(神的ドラマ)が生じます。わざわざ典礼(リトゥルギア)という言葉や道具を用いなくとも、物語は生成するのです。イエスはキリスト(神の子)に、聖書は神の言葉になるのです。これこそ「信仰の継承」の本質ではないかと私は思います。

V. 何を伝達するのか

 ここまでくどくど述べて来て、一体何を言い出すのか、と最後の表題を聞いて思われたでしょうか。本区分では、私自身に対する自戒も込め、至極当たり前のことを述べて、結びに繋げたいと思います。

私たちが伝達するのは福音です。それは、主イエスも戦いを挑んだ「既成概念」の伝達では決してありません。もちろん、福音に限らず、子供たちに何かを教える場合、ある程度はフレームワーク(枠組み)も一緒に提供する必要がありましょう。けれども、「フレームワーク」イコール「既成概念」ではなく、「既成概念」の伝達イコール「信仰の継承」ではないのです。「概念」は≪「体験」+「外からの情報」≫ですが、「既成概念」は≪「体験のない概念」≫だからです。「私は年長者として福音を体験している」、とキリスト者の親なら、大人なら、当然思うものです。私もその例に漏れず、後輩が増えるにつれ、子供が成長するにつれ、そのような思いを強めていくでしょう。しかし、後輩たちの、子供たちの、他者の人生を、私たちは本質的な意味においては体験しておりません。ですから、時として、私たちが伝える信仰は、意図せずとも、福音としてではなく、既成概念として伝わってしまうことが多々あるのです。

私たちの使命は情報の植え付けではありません。そうではなく、情報の伝達と体験の証示なのです。体験の証示とは、自らをしてその体験(ドラマ)の道具とする、ということに他なりません。その人の生で、「イエスという出来事」「イエスという体験」を指差す、ということです。

「それだけで良いの?」と思われるでしょうか。或いは、「自分には無理だ!」と思われるでしょうか。この方法では確かに、「伝道の戦略」という言葉に代表されるような資本主義的生産性は望めないでしょう。けれども、上山耕平君という青年が以前私にぼそっと言った一言はこの疑問に対する一つの光を投じます。彼はこう言いました。「親父は『自分はダメ牧師だ』といつもため息をついているけど、思えば親父の背中を見て育ったなぁ。」 私は彼のお父さんを心から尊敬しています。そして、彼のお父さんの自己評価が、戦略という点に関しては、それなりの精度で当たっていることも知っています。ですけど、と言いますか、ですから、それで良いのです。歴史の中の無名のキリスト者たちも、或いは捕囚の民となった旧約のイスラエル人たちも、耕平君のお父さんのように、信仰者の生きざまを無言のうちに背中に刻みながら、既成概念の植え付けではない「信仰」を、個人的記憶に留まらない「集合的記憶」を伝承していったのでしょう。

結び

 「人生で経験することは皆新しい。死ぬまで新しい経験の連続だ。」 これは私の恩師の一人である甲斐小泉キリストの教会伝道者、野村基之さんの言葉です。喜寿を迎えたご老人の言葉ですから、重みがあります。もう一人の恩師、キリストの教会聖書兄弟団牧師の谷山邦夫翁は、「人生は遊びの連続。やっぱり福音を楽しまんとな」と野村さんの言葉と表裏一体のことを仰られました。私の求道の同志であり大先輩である、左京キリスト教会の前牧師、松下昌義さんならば、すべてをひっくるめて「人生は無・覚への巡礼だ」と言われるかもしれません。では、私自身はと言いますと、「人生はパズルのようだ」とよく表現します。作っている途中はどんな絵になるのかさっぱり分からない。けれども、人生の最後に、パズルの最後のピースをはめ込む瞬間に、私だけのオリジナルの絵を神から見せて頂ける。

いろいろな人がいろいろな事を言いますが、皆が一様に語っていることは、人生は求道の歩みであるということです。天路歴程であるということです。しかも、見えざる、けれども過去に裏打ちされた未来への希望を携えての巡礼であるということです。

信仰の伝承は、究極的には、その求道の歩みを提示することに終始するのかもしれません。私たちは喜怒哀楽を共有する人間ですから、人の宗教性は神の恩寵の中で互いに響き合う時があるでしょう。世紀を超えてです。そのとき、個人の体験は公同の体験に、個人の記憶は集合的記憶に、個人の歴史は世紀を貫く神の歴史に昇華するのではないでしょうか。この神の神秘(ミスティリオン)の中で、イエスは我らのキリストになり、「信仰の継承」が生成するのだと思います。希望を持ちましょう。私たちは神の御手の中にあるのですから。「神我らと共にあり」(インマヌエル)です。[2]


1] もっとも、「信仰の継承の方法論」といった万人に効く処方箋などは存在しないと個人的には考えています。実は、先日、アジアの某国で伝道しているという自信満々の米国人宣教師と話す機会を得ましたとき、自己紹介もそこそこ、「君の伝道の戦略はなにか?」と挑発とも取れる高圧的質問をこの方から受けました。似たようなことは以前も何度か経験しておりますので、経験上、彼の目的は分かっておりました。真摯な挨拶もなしにこのようなやり取りをいきなり始める方は、私の答えを聞く前から、自分が主張したいことを言いたくて言いたくて仕方ないのです。そこで、「日本のことを全く知らないくせに…」と半分面倒臭く思いながら、けれども大真面目に、「あなたが言うところのチープな戦略など始めから持っていません。私は正味の自分で勝負します」、と勢い一席ぶってしまいました。相手の方の顔が紅潮したのは言うまでもありません。その後、この方は自分の「戦略」の成功談を、私を説得するかのように語って下さいました。それはそれで結構なことではありましたが、ありがた迷惑であったのは否めません。それと私自身の生意気にも自己反省させられ、踏んだり蹴ったりの数十分間でした。

[2] 過去対する肯定的まなざしを失った時、私たちは明日を失います。そして逆説的ですが、明日を信じられなくなったとしたら、それは過去を、集合的記憶を失ったからに他なりません。