:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。:8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。:9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、:10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、:11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」:12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。:13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
イントロ
伝統的教会暦に従いますと、今日は「聖霊降臨日」、つまりペンテコステです。ペンテコステは日本語で五旬節などと訳されておりますが、過ぎ越しの祭りの直後の日曜日(この日にイエスは甦られた)から数えて五十日目(ペンデ[例:ペンタゴン])の日曜日がそれに当たることから、ペンテコステ呼ばれています。ペンテコステは、それ故、出エジプト記においては七週の祭りとも呼ばれていました(出エジプト23:16)。七週の祭り(五旬節)は元来小麦の収穫を祝う祝日であったらしく、「刈入れの祭り」とも呼ばれていたようです(出エジプト)。
実は、この祭りは、旧約時代には、イスラエル人の中では余り重要視されてはいませんでした。ところが、紀元前二世紀に書かれたと思われる旧約外典ヨベル書に、モーセはこの五旬節に、シナイ山において神から十戒を授けられた、という記述があることから、時を経て、五旬節はイスラエル人にとって重要な日と位置付けられるようになったのです。そのような背景を念頭において使徒言行録2章の記事を読みますと、モーセが神から十戒を与えられたその記念日に、神がキリストによって始められた新しい恵みが、誕生したばかりのイエスをキリスト(救い主)と信じる群れの上に臨んだという、使徒言行録記者ルカの暗示を読み取ることができます。
今朝はそのようなペンテコステの出来事を共に学んで参りましょう。ペンテコステは、一般的に、「キリスト教会の誕生日」と言われています。
I. ひとつどころに集まっていた弟子たち
話は五旬節の祭りの日の朝、「女性も含めたイエスの弟子たち一同が一つになって集まっていた」ところ始まります。彼らは皆、五旬節の出来事の証人、また伝達者として聖霊を受けることになるのですが、そのような初期キリスト者の一団が、キリストを中心とする愛に満ちた祈りの交わりを形成し、イエスが昇天直前に約束されたものを受ける準備をしていたのでした。
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:8)
II. 神の激しい風が降る
このように皆がひとつどころに集まっている時に、異常な出来事が起こりました。
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった(2:2-3)。
「激しい風が吹いてくるような音」が家いっぱいに響き渡ったというのは、神の霊が耳で聞こえ、眼で見え、その息吹を身体ではっきりと感じ取れる現象を伴って、信者集団の上に臨んだ、ということです。この現象はとりもなおさず、神の関与がそこにあるということの「徴」でありました。ルカが用いた「天」という言葉は、聖書の中では「神」という言葉の言い換えでもありましたし、「風」という言葉・現象も、聖書の中では特別な位置を占めています。イザヤ書40:7では、「草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい」(新改訳)という一句が
あります。この「風」(プネヴマ)というギリシア語には「息」「霊」という意味もありますから、「風が吹いた」というのはとりもなおさず、神の臨在(神は霊である)が「そこにある」、ということを私たちに証言しているのです。ユダヤ人たちにはそのような、風が吹いたり鳴ったりする時に、霊を直感的に感じる、或いは神の霊に思いを馳せるセンスを持ち合わせていたようです。それがヘブライ語でもギリシア語でも「風」「霊」「息」をひとつの言葉で表現するようになった所以でしょう。その「激しい風」は、家の中全体に響き渡りました。
III. 炎のような舌が一人ひとりの上にとどまる
さて、神の風が吹き荒れた後、今度は、「舌のようなものが炎のように分かれて現れ、一人ひとりの上に留まった」、とあります。この記述を読んで思い出すのは、次の、あるユダヤ教の伝承です。「シナイ山において神の言は七十の舌に分かれ、世界の七十の国民はそれぞれ自分の言葉でこの十戒を聴いた」。 ルカのこの記述の背後に、ユダヤ教の伝承が潜んでいたかは定かではありませんが、少なくとも、天から到来した聖霊の臨在が、如何なる新しい事態を生み出したかと言うことを、ルカはここで語ろうとするのです。
ちなみに、ここに出てくる「火」も旧約聖書においては神の臨在の徴でありました。火は神の栄光の現れであり、ペンテコステの出来事においては、神の霊の現れそのものです。そのような火のように見える霊が弟子集団の上に臨み、一人ひとりの上に留まったのでした。すると何が起こったか…。「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(2:4)。
霊に満たされた人たちは、霊が彼らの発する言葉の主体となり、聖霊よって「語る」こと促がされます。どのような「語り」か。それは「他国の言葉」(エテレス グロッセス)での語りです。この記述の背景にバベルの塔の出来事と共通語の回復が暗示されていることは言うまでもありません。
話の中心からは少々それますが、現代の一部のキリスト教会のグループでは、直訳すれば「他の言語」であるエテレス グロッセスをめぐって、ホット(?)な現象とそれに伴う様々な論争を巻き起こしております。つまり、「外国語」か「異言」かという論争です。この個所が議論の出発点を提供しておりますので、二通りの解釈を短く紹介しましょう。(1)前者の立場は、語義的に「外国語としか解し得ない」というものです(e.g.,Oda)。(2)後者は、人間の語る普通の言葉ではなく、「天使たちの言葉」(コリントI13:1);「神に向かって語る言葉」(コリントI14:2)、つまり「異言」です。「異言」とは、人間の語る普通の言葉ではなく、霊的恍惚状態に陥った人の口にする言葉であって普通の人が聴いてもその内容を理解することはできません。しかし霊的能力を賜物として与えられますと、これを解くことができるようになったようです(コリントI14:13;27)。 事の発端は、使徒言行録2:5-15の記事に潜む二重性です。5-11では、使徒たちが多くの外国語で語り始めたとしていますが、それに続く13;15節は、思いもかけぬ「異言」に接した人々の、驚きと嘲笑と考えられます。
この出来事が外国語としての他の言語だったのか、それともいわゆる異言であったが、それが外国語のように聞こえたというのかははっきりとしません(バルバル人)。新約聖書を文献学的に研究する人たちは、元々二通りの伝承が存在していて、それらをルカがひとつに結び合わせ、両者を並存させたのかもしれない、という推測をしていますが、厳密には文献学的再生は不可能です。
もっとも、私たちの興味は文献学にはありません。私たちの興味は、ルカはこの記述を通して、何を示そうとしているの、と言うことです。そして、ルカの書き残したことから、私たちはペンテコステという事件の意図を明確に理解することができるのです。
復活のイエスは弟子たちに向かって、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受けるであろう」と言われました。その力とは、病を癒し、悪霊を追い出すと言ったような、奇跡を成し遂げる力であるよりも、むしろ「言葉」における能力に焦点を当てた賜物です。イエス昇天後、次の一歩をどのように踏み出すべきか、途方に暮れていた初期キリスト者の群れに、上からの霊的能力として「新しい言葉」が与えられたのです。その時彼らは前へと押し出されました。「新しい言葉」を与えられて、言語と民族の堺を超え、全世界の民に向かって喜びの音ずれを述べ伝えるべく、派遣されていったのです。これが「イエスの証人となる」ということの具体的内容であり、二章の記事は、あのイエスの約束が実現への一歩を踏み出した、という神の国の前進を物語ったのでした。
IV. 弟子たちの言葉を聞いた人々
ところで、弟子たちの語る言葉を聞いた人々の中には、メソポタミア、アジア、エジプトなど、遠い異郷からエルサレムに来ていた人々がたくさんあったと記述されています。つまりこれは離散ユダヤ人(ディアスポラ)と呼ばれたユダヤ人であって、遠い異郷で生まれた人たちであります
(パウロも然り)。そういう人々が、自分の生まれ故郷の言葉で使徒たちが話しているのを聴いたとき、どれだけ感動し、胸を打たれたことでしょうか。私も同じようなことをアメリカの田舎で勉強していた時にごく稀に経験しました。つまり、ここに記録されている出来事は、使徒たちがいきなり外国語で語り始めたと言う、奇跡的言語能力の習得と言う低次元の奇跡話ではなく、今まで聖地エルサレムから遠くはなれ、霊的孤独感の中に、見捨てられているように感じていた離散のユダヤ人の魂に、神の言葉が、自分自身のふるさとの言葉として、注ぎ込まれたと言うことなので
す。
その語られざる魂の孤独感は、ここに列挙されている地名を詳細に調べてみますと、輪郭を持ったものとして浮きあがってきます。
パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダ ヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいる(2:9-11)。
パルティアはカスピ海の東南に位置する辺境の地であり、メディアはカスピ海の西南にあります。メソポタミアは、嘗てバビロンに捕らえ移されたユダヤ人たちが、そこで捕囚の憂いをなめた土地であり、エラムはその東に隣接しています。カパドキアは小アジア(現トルコ)東部の山地、ポントスはその北にある黒海沿岸地帯であり、次に出てくるアジアは、ローマの行政区としてのアジア州のことで、小アジアの西部地域であります。フリギアとパンフリアも同じく小アジア西南部の地名であり、パウロが伝道旅行の際通過した地域としてよく知られています。ルカはここに七つの民族名と、その間に挟まっている九つの地方を9節と10節で列挙した後、11節の「ユダヤ人と改宗者」という言葉でここに挙げた人々を宗教的観点から総括しました。
ところで、これらの地名は、何を意味するのか。最初に出てくるパルティア人は、当時ローマにとっても、侮りがたい強国でありましたが、続くメディア人とエラム人という呼び名は、遠い過去に属する呼称ですので、ルカは当時の世界だけではなく、過去と未来の世界史に現れる民族をも包括しようとしていることを暗示しています。
もっとも、ルカは様々な氏族や地名を列挙しましたが、見ての通り、ペンテコステの現場に居合わせていたディアスポラや改宗異邦人たちの出身地を、忠実には記録していません。では、ルカは彼独自のこの構成の中で何を語ろうとしているのでしょうか。
この問題を解くにあたってある聖書釈義者は次のようにコメントしています。曰く「『ユダヤ』と『ユダヤ人と改宗者』『クレテ人とアラビア人』を除くと、あとに十二の地名が残るという事実が、ひとつの示唆を与えてくれる。十二とは、ユダヤ人にとってひとつの完全数であるから、全地の民に向かって、今や福音の伝達が開始されたと言う事態を、ルカはこれによってしめそうとしているのであろう。しかも、ローマが十二番目に挙がっており、この使徒言行録自体も、パウロのローマ伝道で終わっている。」 もし、このコメントが的を射ているとすれば、「地の果てまでイ
エスの証人となる」という約束の言葉が、すでにここで実現への一歩を踏み出したと言うのが、ルカの主張でありましょう。
V. ディアスポラの背景
今地域的広がりに関して考察いたしましたが、更に注意深く見ますと、ここの地名自身の中にも、深い陰影が潜んでいるのを読み取ることができます。結論から申し上げますと、離散ユダヤ人が如何に苦難の道を歩んできたかと言うことです。新共同訳聖書旧約聖書続編のマカベア書には、ローマ総督がパルテヤの王にユダヤ人保護を要請するエピソードが記されています。また列王記IIにはアッシリヤによって滅ぼされた北イスラエル王国の民が、メディナの町々に捕らえ移されたことが記録されています。
結局これらのことによって何が起こったのかと申しますと、血の純潔の喪失です。当時流布していた伝承にこのような諺がありました。「メディアは病んでおり、エラムは重症だ」。 これは何れも、捕囚のユダヤ人の民が異邦人との結婚によって、血の純潔を失ったことを指摘する蔑視が込められた諺であります。メディアやエラムに住むディアスポラのユダヤ人は、ユダヤ本国の人々から、どれだけさげすまれていたか察して余りありますね。
このように見てみますと、ここに列挙されているディアスポラのユダヤ人たちは、さげすまれ、虐げられ、歴史の中に消えて行こうとしていた人々だと言うことがでるでしょう。けれども、聖霊の降臨によって、使徒たちが最初に語りかけた相手が、こういう人々であったと言うことの中に、福音の本質が如実に現れていることを、ルカは示そうとしているのです。1:6において「主よ、イスラエルのため国を復興なさるのは、この時ですか」と弟子たちが尋ねたとき、彼らはエルサレムを中心とするイスラエルの復興を待ち望んでいました。ところが、ここでは寧ろ、「死の陰」に座する民の元へ行け、という指示を受けたのです。そして事実、10節と11節に列挙されている地方に、福音が如何に浸透したかという次第を、ルカはここらから語っていきます。
結び
使徒たちの語りかけは、その相手から、常に好意をもって受け止められたわけではありませんでした。むしろ多くの人々が「驚き怪しみ」「これは、いったいどういうことだろう」と互いに語り合った、と記録されています。つまり、奇跡は、それ自体としては、人を信仰に導かないのであって、傍観者はこれに驚くことしかできなかったのです。
今朝はペンテコステの出来事から、教会のドラマチックな誕生とその後最初のキリスト者たちが語りかけた人たちの背景、そして彼らのリアクションを見ました。
ペンテコステの出来事は、私たちにも、今この瞬間にも関わりを持っています。教会から一歩出れば、そこにはキリストと言う土台無しの喜怒哀楽に満ちた世界が広がっているからです。その中で私たちは、或いはイエスの弟子たちのような嘲笑を経験するかもしれません。けれども、聖霊を頂いている私たちですから、そして喜怒哀楽の人生を共有する同じ生身の人間でありますから、忍耐を持って、私たちが携えている「福音」を分かち合っていけたらと祈るばかりです。
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