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2006/06/10 「ペンテコステ第二波」使徒言行録10:1-35

イントロ

 「ところ変われば品変わる」という諺があります。先日古い書類の整理をしていましたら、成田空港で働いていた時代のものが多数出てきて、当時の経験を思い出しながら、この諺をふと思い起こしました。
随分と前の話になりますが、嘗て「成田空港」で、出国検査員及び入国拒否をされた外国人のインタヴィーという一風変わった仕事をしていたことがあります(フルタイム、パートタイム)。成田空港は日本で一番にぎやかな国際空港ですから、毎日あらゆる国の人々との接触があります。この環境の中で思わされたのは、「世界にはいろんな人がいるんだなあ」ということです。地球の上をほんの少し移動しただけなのに、国、民族、言語、文化、習慣、価値観がガラッと変わってしまう。この中では最早、常識という言葉など全く意味を持ちません。もちろん、これだけ情報網が発達した今日においては、居ながらにして、このような現実を知ることができるようになりましたが、しかし、実際に生でこのバラエティーに富んだ「世界」を経験してみますと、その違いは頭での理解を遥かの超えた、余りにもドラマチック且つ全く不可解なもので、まことに驚かされるのです。二十歳のときに初めて経験したこの「世界の多様性」は、世界の出来事に興味津々であった私には刺激的でした。

私が経験したひとつの例を紹介しましょう。イラン人の場合です。ご存知の通り、イラン人の殆どはイスラーム教徒です。そして、イスラーム教徒にとって最大の聖地はメッカです。彼らは日に5度メッカの方向を向き、アッラーの神に祈りを捧げます。
勤務中、そんな彼らから何度となく「メッカはどっちの方角ですか」と尋ねられました。今はもっと具体的にメッカの地理を立体的に思い浮かべることができますが、当時はただ西の方角にあると言うことしか分かりませんでしたから、テキトウに西の方向を指差しますと、彼らは「ありがとう」とメッカの方向に向き直り、その場で、自分の上着をゴザ代わりにして、一目を憚らずにお祈りを始めるのです。ある時などはトイレの中で跪いて祈っていました…。初めは何事か、と驚き、大きなカルチャーショックを受けたものです。

ところで、このような民族、風土、文化の違いは、空港ですれ違った多くのクリスチャンたちにも同じように当てはまりました。例えば、韓国人には韓国人のカラー、フィリピン人にはフィリピン人のカラー、アメリカ人にはアメリカ人のカラー、ギリシャ人にはギリシャ人のカラー、イギリス人にはイギリス人のカラー、ドイツ人にはドイツ人のカラー、ブラジル人にはブラジル人のカラー、エチオピア人にはエチオピア人のカラー、といった具合に、それぞれの国や民族によってそれぞれです。当然のことながら、同国人でも民族、宗派が違えば、カラーは異なります。このような世界中のクリスチャンたちとすれ違う時にいつも思わされたのは、神の御約束は真実である、ということです。

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがた力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒言行録1:8)

 初めはユダヤ人しか伝え聞いていなかったキリストの福音が、世界中に広がるという約束です。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今朝は、キリストの福音がユダヤ人の枠を超えて、世界中の民族へと広がっていく道を開いた最初の出来事を見たいと思います。この個所は一般的に「異邦人のペンテコステ」と呼ばれる個所です。


I.                   コルネリウスへの御告げ

物語はコルネリウスいう人の紹介から始まります。 1 節に、彼はカイザリヤ在住のローマ帝国の軍人で、イタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長であったと紹介されています。カイザリヤはヤッファ48kmほど北上した所に位置する地中海沿いの新興都市で、地理的にはサマリヤに属しながらも、そこに住む人口の大半は異邦人であった町でした。また、そこにはローマから派遣されるシリヤ州内ユダヤ領の総督が駐在していたので、そこを守るためにローマの一駐屯部隊が配置されていました。それがコルネリウスが百人隊長(職責は今日の陸軍大尉、下士官)として属していたイタリア隊と呼ばれる部隊です。

 彼はまた、このようにも紹介されています。

:2 信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。


当時多くの異邦人は、完全な改宗者としてユダヤ教団に入る覚悟はできていなくても、ユダヤ教の純粋な一神教思想や、ユダヤ人の倫理的生活規範に心を魅かれていました。彼らの内のある者はシナゴーグの礼拝に出席し、七十人訳聖書やギリシャ語で唱えられる祈りに非常に親しみ、一部の人たちは安息日の厳守や食物規定といったユダヤ教の特殊な習慣をも多かれ少なかれ守っていたのです。
コルネリウスもまたユダヤ教に心魅かれた異邦人で、彼がユダヤ教に愛着を感じていたことは、イスラエルの神に正規の祈りを捧げ(3節からもそれが見受けられる)、イスラエルの民に施しを為していた点に、特にはっきりと現れています。しかも家族挙げてです。

ところで、一体何をしてこのコルネリウスと彼の家族をイスラエルの神礼拝に導き、帰依せしめたのでしょうか。はっきりしたことは分かりませんが、一つのヒントはポリヴィオスなる人物の書き残した「百人隊長の資格条件」の中にそのヒントを見ることが出来るかもしれません。曰く「百人隊長に要求されていることは、堅実且つ慎重な精神を持った良い指導者のように振舞い、大胆で冒険的でないこと。攻撃に出がちであったり、勝手に戦闘を開始しないこと。しかし、いざ敵に圧倒され、窮地に陥った場合には、断固として立ち向かい、陣地を守って死ぬこと、である」。つまり、コルネリウスは、冷静にしっかりと腰を落ち着けて、真理を見定めようとする姿勢を持っていたのではないか、ということです。

 さて、このように信仰心の厚いコルネリウスに神の使いが現れました。
:3 ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。

 それはある日の午後3時頃であったとあります。この時間は、ユダヤ教の習慣ではちょうど祈りの時間に当たりますから(使徒3:l)、神の天使は恐らく、祈りの中にあったコルネリウスに現れたのでしょう。

 天使は呼び掛けます。「コルネリウスよ」

:4b あなたの祈りと施しは、神の前に属き、覚えられた。そして神は怠まえに恵み豊かな報いを与えて下さる。:5 ついて、ヤッファに人をやり、ペトロと呼ばれるしシモンを招きなさい。

 「何の事だろう…」 コルネリウスは考えたでしょうが、このままでは神の意図されている計画は分かりません。そこで、天使が言った通り、召し使い2人と側近の部下で信仰心の厚い一人の兵士をペトロのところに派遣します(:7-8)。しかし、この時点においても、何か素晴らしいことが用意されて いることを予感させる二つのことが既に示されています。一つは、異邦人であるコルネリウスに天使が現れたこと。もう一つは、天使が「輝く服」(10:30)を着て現れたことです。この表現は黙示文学特有のもので、ダニエル書や七十人訳の外典に親しんでいる読者には主の来臨 (神の訪れ)を自然と期待させます。

II.                   ペトロの幻 :9-16

さて、コルネリウスは天使のお告げによって、ペトロに会う心の準備がされました。そこで今度は、ペトロの方もこの会見のために神から整えられる必要がありました。と言うのは、コルネリウスの方にはこの会見に躊躇する気持ちはありませんでしたが、ペトロにはあったからです。彼はこの「戸惑い」を克服しておく必要がありました。実は、この背後にはユダヤ人と異邦人との関の文化的、宗教的深い溝があるのです。
 「神を敬う異邦人」がユダヤ人教会に入っていくには異論はありませんでした。しかし、ユダヤ人が異邦人の家に立ち入ることは穏健な正当的ユダヤ人でさえ快く思わなかったのです。たといそれが神を敬う人であってもです。と言いますのは、当時の社会では、他者の家に入るということは即ち「共に食卓に与る」ということを意味したからです。ユダヤ人が異邦人関連で最も恐れ、気をつけていたことは、実に彼らの食物でした。異邦人は、ユダヤ人にとって汚れているとされていたものを食する習慣を持っていたので、このような食物の汚れに無頓着な異邦人と食卓を共にすることによって、自分も汚れてしまうことをユダヤ人は恐れたのです。ヨハネ伝4章の「サマリヤの女」の物語には、この事が如実に表れています。
ここには「ユダヤ人はサマリヤ人と交際しなかった」(:9)という言葉がありますが、この「交際しない」という言葉のギリシャ語は ουσυνχρωμαιで、直訳すると「同じ食器を共有しない」、つまり、共に食卓に着かないという意味になります。それが転じて「交際しない」という意味になりました。「同じ食器を共有しない」という言葉が「交際しない」という意味に転じてしまうほど、ユダヤ人は異邦人と食事をするのを忌み嫌ったのです。エンガチョどころではありません。この時点においては、異邦人に対するペトロの偏見は大分取り除かれていたでしょう。けれども、ユダヤ人にとっては決して許されない異邦人の家訪問をに承諾させるためには、ある不思議な体験を必要としていました。ペトロは正午の祈りをするために屋上に上りました。しかし、地中海性気候のヤッファは暖かく、海からそよいでくる暖かい風の中ですっかり夢心地になってしまいました(:9)。彼の泊まっていた家は海岸沿いにあったのです(:6)。時は昼時、ちょうどお腹が空き始める頃に眠ってしまったので、そこで見た幻の内容は食物に関するものだったのでしょう(:10)。 それにしても妙な夢です。大きな敷布に上に清い動物、清くない動物が一色単におかれ、天から降りてきます(船舶の帆のイメージか太陽に反射する海のイメージか)。そして声が聞こえてきました。

「さあペト口、身を起こして、それらをほふって食べなさい」(:13)。

その声は実際には「来て食べよ」と命じるのです。しかし、これは到底聞けぬ命令でした。なぜなら 祖父伝来の教えはずっとこれを禁止してきたのです(バッチイと言う意味ではない→レビ記11:l-47参照)。「主よ、たとい清い動物でも適当な儀式をもってほふってこそ、初めてその肉を食べることが出来るのに、清くない動物など食べられっこありませんよ! 今迄だって一度たりとも食べたことがありませんの… 」(:14)。私のような捻くれ者は「それならば、清い動物だけ食べれば良いではないか」と突っ込みたくなるのですが、この時のペトロには最早そのように考える余裕などありませんでした。彼は清いものと清くないものが一緒にされていること自体に躓いてしまったのです。 最後にその声は、極め付けにこのような言葉を残します。

:15 神が清めたものを、清くないなどとあなたは言つてはならない。

その声は三度も同じ事をペトロに命じます。 

このようなペトロを見て「何て頑迷で排他的な男だろうか」思われるでしょうか。私たちの感覚からすればそうでしょう。しかし、w)ペトロにとってこれを受け入れるのは、誠に至難の業だったのです。と言いますのは、聖書の中では、ユダヤ人はあたかもパレスチナ世界の多数派といった印象を受けますが、実は新約聖書の時代には少数派であって、信仰を捨て、その特質を捨て、ローマ帝国の善良な市民の一人になるべきだという強大な圧迫の唯中に置かれていたからです。そのような中では、たった一切れの豚肉やカエサルへのー摘みの香料が、信仰共同体を跡形もなく、短時間の内に消滅させてしまうことになりかねませんでした (イースト菌のようなもの)。ユダヤ人たちは嘗てそのような危機を幾度となく経験してきたのです。カナン入植時に、アッシリヤ捕囚時に、バピロン捕囚時に、そして、シリヤのアンティオコス朝のヘレニズム政策のもとにおいて。このギリシャ化政策は最も深刻でした。 それ故にこれは、ユダヤ人にとっては生き残りを賭けた生死の問題、自己容在の根拠に関わる事柄でした。民族として立つアイデンティティー、異邦人と自分たちを区別する精神が、その外面的形に込められていたのです。

III.                   お互いの幻が溶付合い御心が明瞭に :23 以下

ペトロは、今の夢は一体何だったんだろう、と思い巡らします。そんな中でコルネリウスから遣わされた三人の人が訪ねてきました。

:22 百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。 

彼らがちょうど到着した時、「ためらわないで彼らと一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこし たのだ」(:20)という御霊の声を聞いたペトロは、その声に押し出され、コルネリウスの僕たちの要請に答えてカイザリヤに行くことにします。
彼はその道中で、もう一度あの不思議な夢について思い巡らし、「あの夢の意味は一体何だったのだろうろう…」と考えながら旅をしたことでしょう。そこで少しずつ分かってきました。

「そうだ、主イエスは以前私たちを前にしてこう言われた『人を汚すものは外から人の腹の中に入ってくるものではなく、人の心の中から出るものである』。これは人の清い、清くないを意味しており、この事は祭儀的性質を持った他の多くの律法の廃止を意味したんだ。そして、今御霊は私に彼らと行けという。そうだ、これは旧約の祭儀律法の廃止を意味するどころではなく、律法が成就して(昇華)w)、ユダヤ人と異邦人の壁が最早、打ち砕かれたことを意味していたんだ。敷布は教会の姿、中身は国々と諸民族の象徴だったんだ!」と気が付いたのです。正に、律法の存在とその存在の根拠のために、イエス・キリストという新しい基盤が台頭し、これによって古いものが新しいものに取って変わられました。 

そうして、コルネリウスのところに到着した時、ペトロは何の躊躇もなく異邦人の家の中に入り、夢の中で学んだことの裏付けを得、彼は完全に理解したのです。

:34 神は人を分け隔てなさらないことがよく分かりました。:35 どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 

神は人を決して分け隔てなさりません。神は外側ではなく、心を見られるのです。 

二十世紀を代表するドイツの神学者パウル・ティリッヒは「この言葉は動揺を与え、興奮させ、世界を逆転させる」とコメントしています。このペトロの言葉を聴いたコルネリウスとその家族、仲間はどれほど喜んだでしょうか。彼らはそれ迄、信仰の根拠を、「神は分け隔てをされる方である」という前提で生きてきました。そして、彼らはその分け隔ての故に苦しみながらも尚、神を信じてきたのです。

ペトロはこの日、コルネリウスとその家族、仲間にイエス・キリストにある救いを証しし、それを聴いた者皆が、聖霊降臨という確証を与えられて救いに入れられました。少し長いですが、その箇所を読んでみましょう。使徒言行録10:36-48a

 神がイエス・キリストによって…平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう・・・ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事…つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスが…なさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、幕uッに宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」
ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。

 外に出て行き福音を宣べ伝えるという形における、初めての異邦人キリスト者の誕生です。異邦人にも「命」への道が関かれました。それと同時にユダヤ人と異邦人の食事の交わりも回復されたのです。彼らは主イエスを中心とし、同じ食器を用い、共に同じ釜から食べました(名実共にcompany[com-共に, pan-パン]になった)。そして、それだけに留まらず、あの最後の過越しの食事の時イエスが与えられた、御体と血をも共に受け取ったのです。ユダヤ人と異邦人の嘗ての関係を考えますと、 この出来事は歴史的重大事件でした。
この延長線上に私たち日本人がいます。神の救いの計画は確実で壮大ですね。私たちはコルネリウスの延長線上にいるのです。

キリストの福音はこの時をもって全世界へと躍動し始めました。風(霊)は、今度は台風のごとき力強さでもって、思いのままに吹き出したのです。
そして、この波打つ救いの鼓動の影に神が整え、用意されていたある伏線が静かに出番を待っていました。タルソのパウロです。キリストの良き音ずれを世界人と運ぶあの大使徒パウロです(使徒言行録13章以降はパウロが主役になります)

結び

福音の世界化事始を見てまいりました。イントロでも触れましたが、その福音は今や「世界の隅々におよべり」(聖歌530番)です。そして、今日世界中に、バラエティーに富んだ様々なクリスチャンが誕生しました。

 私は成田空港ですれ違ったクリスチャンたちからそのバラエティーを学ばされたのですが、それと同時に、どこの国の人でも、どこの宗派の人でも一様に共通していた点がありました。それは、私がw)何かの拍子に「聖書」「キリスト」「クリスチャン」のいずれかの話をしますと、必ず微笑みかけてくれたということです。その中には「君は数少ない日本人クリスチャンのひとりか! ハレルヤ、天下にイエス・キリストの名の他に救いはない!」と叫びながら握手を求めてきた、少し迷惑なブラジル人一団もいましたが・・・。
私が今でも鮮明に覚えているのは、ギリシャ人キリスト者一行との出会いです。当時、大阪聖書学院でギリシャ語を学んでいた私はかねがね、ギリシャ人と会って話したいと思っていました。アテネ大学で学ばれたOBSの織田さんと杉山さんから、興味深いギリシャ人の生活とギリシャ正教の話をよく聞かされていまし、何しろ新約聖書の言語を使っている民と、あのパウロも使っていたギリシャ語で話してみたかったのです。
ある日会いたい会いたいと思っていたギリシャ人にとうとう会う機会がありました。科学者のグループだったと記憶しています。仕事上英語で交わした会話の内容は事務的なものでしたが、事務的な会話が一段落したとき、私は恐る恐る、覚えたてのギリシャ語で自己紹介をしました。すると、まさか日本で日本人の口からギリシャ語を聞くとは思わなかったのでしょう。彼らは驚いた顔をしていました。しかも、そのギリシャ語は現代ギリシャ語ではなく、二千年前の新約聖書時代のギリシャ語だったのでから…。彼らが面食らったのも無理はありません。OBSのギリシャ語講義は現代式発音で受けましたし、アテネからのギリシャ国営ラジオ放送 The Voice of Greece の短波放送を通して現代ギリシャ語にも少しは接していましたので、現代ギリシャ語を全く知らないわけではなかったのですが、御愛敬程度にしか知識がなかったのと、なんせ興奮しまっていましたから、全部新約聖書時代のギリシャ語の文法で話してしまったのです。 けれども、感動的だったのは、私がギリシャ語の主の祈りを知っている、と言ったら、この一行が一緒に祈ろうと、共にギリシャ語で主の祈りを祈ったことです。パーテルイモーンです。最高に感動しましたね。パウロの使っていた同じ言葉で、新約聖書を生みだした言語の民たち、しかもパウロが伝道したアテネの人たちと主の祈りを祈ることができたのですから! ギリシャ語を勉強していて本当に良かった、と思った瞬間でした。ギリシャ人の話しで少々熱くなり過ぎました。ゴメンナサイ。

 仕事の合間に出会ったこのような笑顔がどれほど励ましになったことか…。勿論、細かな聖書理解、信仰理解、神学論を突き詰めていったら恐らく相入れない人たちも大勢いたでしょう。その中にはローマ教会の神父もいれば、イコンを大切にするギリシャ正教徒もいるのです。しかし、嬉しかったのは、新約聖書の教会に帰ることによってキリスト教会の一致を呼び掛けた私たちのルーツである新約聖書教会復帰・復元運動は最早遂行不可能と思わせる誘惑渦巻く今日において、このように出会い、そして世界中に散っていったあのー人ひとりとわたしは、少なくとも同じ源泉 (イエス・キリスト) に繋がっている兄弟、姉妹であることを確認できたことです。この交わりをなさしめたのは主イエス・キリストです。そして、その口火を切る大役を仰せつかったのが使徒ペトロです。ナザレのイエスから始まったあの神の国は、ペトロがコルネリウスに福音を伝えたあの瞬間を皮切りに、人と人とを隔てる世界中の壁という壁を打ち砕きながら、日本にも神の国を実現してくださいました。『神が清めたものをあなたが清くないと言つてはならない』という主の宣言のもとに、です。
ペトロから日本にも届けられた神の国は、この瞬間も前進し、そして、これからも突き進んでいくことでしょう。嵐は今度はどこに吹くのでしょうか。神の約束に期待しましょう。