序論
「ロビンソンクルーソー」で有名な作家、ダニエル・デフォー」の作品に「疫病流行記」なるものがあります。物語の内容は、史実に基づいた、恐ろしい疫病の流行の、その発生から終息までを描くといったものです。ところはロンドン、時代は1665年、死者の数は十万人を超えました。デフォーは一進一退を続ける病勢の推移、拡大する恐怖を図描き出そうとしました。はじめは緩やかに、そしてやがてすさまじい勢いで都市の中心部に侵入し、市民を恐怖のどん底に突き落とした悪病の猛威を、です。
I. 病気と言う支配の力学
さて、デフォーのこの作品のテーマですが、大変深遠です。ロンドン市民を震え上がらせた恐怖の実態が、疫病そのものであるよりも、疫病と言う名の神話、或いは、疫病の隠喩(メタファ)であった、ということです。
いったい、なぜ疫病の陰のような目に見えない存在であるメタファが恐怖であったのでしょうか。それは、デフォーは信心深い登場人物の一人、馬具屋の目を通して語らせるのですが、疫病の猛威と言う事件が、恐怖の時間の経過の中で、単なる疫病であることを止め、ひとつの意味に変化する、ということなのです。物語の中でその意味は、神の懲罰と復讐です。
何に対する懲罰と復讐でしょうか。英国史上有名なクロムウェルの共和制が、わずか六年足らずで崩壊し、1660年にスチュアート家のチャールズ二世が王位に就き、王政が復古するのですが、馬具屋は、勢力を巻き返した国教会派や王侯、貴族の贅沢な暮らしぶりとい道徳的頽廃に問題がある、と見るのです。それに対する神の懲罰であり、復讐なのです。疫病は、恐怖渦巻くロンドンから、教区を捨てて脱出を図る国教会派の牧師や貴族や王族を、行く先々で容赦なく打ち、逃れようのない神の審判が誰の眼にもあわらになりました。少なくとも、馬具屋はそう見たのでした。
さて、果たしてそうだとしますと、疫病は、もはや疫病以上のなにものか、ひとつの明白な意味、神話、メタファとして機能していることになります。そこで思い出されるのが、アメリカの評論家、スーザン・ソンタグの「隠喩としての病気」という発表です。彼女によりますと、病気に関するすべての神話は、病気に意味を強制することによって作り出された「支配の力学」ではないか、というのです。
このソンタグの理論を、デフォーの「疫病流行記」に適用しますと、彼の作品は、十八世紀の英国社会における、新興中産階級の悪や不正に対する感情の表現であると言うだけではなく、彼らそこが、実は、疫病の神話、疫病のメタファの最も熱心な信奉者であり、伝道者に他ならなかったと
言う事実を、告白していることになるのです。それが神の名を借りた「差別」の論理とひとつに結合しているところに問題があります。新興プロテスタント勢力、とりわけピューリタニズムが彼らに対して実質的なイデオロギーの提供者になったと言う事実は、否定することができないでしょう
(例えば「スカーレットレター」)。
II. 病気と言う支配の力学の支配者
さて、「病気と言う支配の力学」というアイデアを踏まえて、「イエスの病気癒し」という行動の背景を見てみましょう。これは、キリスト教誕生の背景にも関係があります。と言いますのは、イエスもイエスの弟子たちも、病気の神話、病気のメタファの蔓延するユダヤ社会の真只中に登場し、それと戦う形で、彼らの最初の活動を展開していくことになるからです。
原始キリスト教の最初の歴史は、ある意味、病気直しの活動の歴史ということもできるのですが、それは病気そのものとの戦いであるよりも、ユダヤ社会が病気に強制した意味との戦いであり、結果的に、「支配の力学」との闘争でありました。マタイ、マルコ、ルカの三福音書に記された、延べ115にのぼる病気直しの物語は、そのまま、初期キリスト教に占める治癒活動の比重の圧倒的な大きさを伝えていると思われます。それは少なくとも、キリスト教成立の最も早いある時期、救いが、イエスによる、或いはイエスの「名」による癒しであった事実と切り離すことができません。
病気直しは、ユダヤ社会の支配の論理や差別のイデオロギーとの、もっとも戦闘的な闘争形態でありました。なぜならば、律法主義者たちやファリサイ人たちは、因果律に基づいて、病気は罪の結果だと信じていたからです。つまり、そのような理解が自明であるが如くまかり通っていた社会の中にイエスは登場し、病気を癒し、罪の赦しを宣言したのです。ユダヤ社会の病気というメタファによる支配の力学とその支配者への、イエスの挑戦です。
詩編88編にこのような一節があります。
88:3 わたしの祈りが御もとに届きますように。わたしの声に耳を傾けてください。
88:4 わたしの魂は苦難を味わい尽くし/命は陰府にのぞんでいます。
88:5 穴に下る者のうちに数えられ/力を失った者とされ
88:6 汚れた者と見なされ/死人のうちに放たれて/墓に横たわる者となりました。あなたはこのような者に心を留められません。彼らは御手から
切り離されています。
88:7 あなたは地の底の穴にわたしを置かれます/影に閉ざされた所、暗闇の地に。
88:8 あなたの憤りがわたしを押さえつけ/あなたの起こす波がわたしを苦しめます。
これはらい病という不可触禁忌の病のゆえに、町を追放され、無人の廃除か砂漠以外に住み着く場所のなかった人間の、救いようのない、絶望的な魂の叫びが描き出されています。作者が、果たしてこうした捨てられた人間であったかどうか、その辺りのところはわかりませんが、神からも人からも捨てられた人間が(「神から」というのは人間が決めたこと)、現実に存在していたユダヤ社会を背景に、この詩が書かれていることは疑問の余地がありません。
ヨブ記によりますと、呪われた病気のゆえに、町を追放された人間は、砂漠の死の谷の住み着くほかなかった、とあります。
15:28 滅ぼされた町、無人となった家/瓦礫となる運命にある所に/彼は住まねばならないであろう。
死の谷は墓場であり、それは地下の穴を通って暗い水底の冥界に直結していると信じられていました。ですから、砂漠の死の谷に幽閉された病人は、すでに、生きながらにして死者であり、葬られた者であったということが出来ます。肉体の崩壊以前に、すでに社会の制裁によって、彼は生命を抹殺されてしまうのです。
旧約聖書のレビ記には、呪われた病気、穢れた病気の診断に必要な症候群が、細目にわたって列挙されています。イエスの時代のユダヤ社会でも、こうした一連の医療行為――検診、診断、治療、隔離、社会復帰の権限を、すべてユダヤ最高法院サンへドリンを通して、集中的に祭司の手に委ねていました。祭司は臨床医のように、この権限を行使したのです。
ある特定の病気が、神の呪いや穢れとして社会的制裁の対象とされる…。これほど人間にとって、恐るべきことがあるでしょうか。これこそまさしく、病気に宗教的意味を強制することによって、人々を恐怖に追いやる支配の力学そのものです。
ヨブ記に描かれたヨブの苦難も同様です。そこには、病気を神の刑罰とみる観念が、厚い壁のように立ちはだかり、ヨブは、自らの正義の証のために、自己の道徳的潔白にかけて、この厚い壁に立ち向かわねばなりませんでした。病気との対決を自己の道徳的行為の完成によって成就する。ここに、ヨブに負わされた苦難の過酷さがあります。
V. 罪からの解放者イエス
旧約聖書にリアルに描き出されているこうした状況は、そのままイエスの誕生当時のローマ帝政下のパレスチナの状況に重ね合わせることができます。寧ろ状況は、ユダヤ律法主義の復興を目指すファリサイ主義(一生懸命主義)の横行によって一層悪化し、病気のメタファで武装した差別の論理は、二重、三重に、がんじがらめに民衆を縛り上げていたと想像して良いでしょう。
イエスはこうした世界の真只中に登場し、「神の呪い」という名の、恐ろしい牢獄に閉じ込められていた病人から、その不当に強制された意味を剥奪することに向かって、その活動を開始したのでした。イエスの癒した病人の中で、悪霊に憑かれた者、盲人、らい病人が、その筆頭を占めている事実は、なによりも雄弁にそのことを物語っています。こうした不治の病の根源には穢れと罪がある。それが、ユダヤ社会の不動の確信だったのです。先に引用した詩編の一節も、こうした状況に投げ出された、望みのない人間の悲しみの声以外の何ものでもありません。
イエスの治療活動は、こうした人々に強制的に背負わされた恐ろしい重荷を一挙に取り除く原理として機能し、ユダヤ社会の最底辺に、人々から差別され、生きながら屍のように拒否された人々を、「意味の牢獄」から解放する力となったのです。それが、イエスの驚異であり、奇跡だったのです。イエスはこう言いました。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ
2:17)
イエスとイエスの弟子たちは、ユダヤ社会に蔓延する病気のメタファに正面から挑戦することで、こうした病人に接近し、彼らの社会復帰を促しました。当然、他方、病気に対して忌まわしいラベルを貼り付け、体制に奉仕するファリサイ人、律法学者と真正面から衝突することになります。彼らこそが、病気の神話の伝道者であり、体制ユダヤ人の熱心な支持者であったからです。
イエスの病気治しの活動は、このような意味において、病気から不当な意味を剥奪すること、そして、ユダヤ教的支配の論理を無効にすることでした。けれども、それが結果的に、十字架の苦しみを招くことになります。
正当ユダヤを標榜するファリサイ派は、こうしたイエスの運動を、反権力の魔術師として告発し、穢れた病人や罪人との接触を理由に、タブーの侵犯者として迫害しました。イエスの治癒活動の背景には、このような歴史的事実があるのです。
福音書に記録された、一見、荒唐無稽ともみられる、おびただしい数の病気なおしの奇跡物語は、こうした事実を背景に成立し、救いを求める人々の魂に、治癒神イエスの誕生を克明に刻み付けてゆくことになります。
結び
最後に、今まで述べてきた「メタファの破壊者イエス」「罪からの解放者イエス」の姿勢に倣うということを私なりに適用した、ひとつの考え方を紹介して、今日の話を閉じたいと思います。
私は神社仏閣に行きます時、必ず絵馬や願い事を書いた札を読みます。しかも、積極的に、丁寧にそれぞれ書かれた願い事を読みます。それは何故か。
日本人は一般的に、とりわけ都会では、無宗教と言う名の宗教を標榜し、生活の中から、会話の中から、宗教的エレメントを排除して生活しています。それは、「イエ」の宗教的伝統については語れても、個人の宗教的感覚については、多くの人が「私は(信仰としての宗教には)無宗教です」としか答えない、或いは、答えられない事実から窺い知ることができるでしょう。けれども、神社仏閣という「聖域」においては、普段は隠されていて見えない日本人の宗教性、宗教感覚――平たく言いますと、人間を超えたところ存在する「何か」に寄りすがる日本人の姿を垣間見ることができるのです。そこでは、普段は無宗教を標榜する人たちが、本殿・本尊に手を合わせ、何かの願い事をしています。そして、絵馬には、それを書いた「普通の日本人」たちの宗教的願いが表現されています。もちろん、合格祈願や恋愛成就といった、次元としては余り高くないものが主流ではありますが、中には「お父さん、お母さんの病気が治りますように」「もう一度家族が一つ屋根の下で暮らせますように」「病気に打ち勝つこと
ができますように」といった人間生活の根幹に関わる深い祈りと願いが込められた絵馬も多数あるのです。それは、日本人の真実な宗教性に基づく宗教的願い以外の何物でもありません。無病息災を願う以上の祈りがそこにあります。
そのことから思うのですが、神社仏閣と言う空間は、日本人の宗教心をダイレクトに覗くことのできる数少ない場所でありましょう。英語で言いますとpoint of contactです。ですから、私は積極的に、機会あるごとに神社仏閣に足を運ぶのです。私は、そのような自身の経験と理解から、仲間のクリスチャンにも神社仏閣に行くことを奨めます。米国から来た宣教師たちには、取り分け、熱烈に勧めます。もっとも、良い顔をする人たちは少ないのですが、気心の知れた仲間たちには、遠慮なく、半ば命令調で進言するのです。こちらからアプローチをかけても普段は消極的愛想と共に引いていく人たちの、普段は表面には出てこない宗教性に触れることができるのですから、これほど貴重な場所は他にはありません。
毎年夏になりますと、米国のキリストの教会系の学校、シンシナティ・キリスト教大学の生徒たちが夏季短期伝道やってきます。米国オハイオ州のシンシナティに在住する友人である元在日元宣教師のお姉さんがリーダーです。私は彼女にも同じことを進言します。実は彼女には、特に激しく、グループを神社仏閣に連れて行くことを勧めるのです。と言いますのは、このグループの最大のミッションは信者仏閣の周りをぐるぐる歩き、日本人がまちがった宗教から解放され、真の宗教(キリスト教)によって救われることを祈ることにあるからです。(エリコの話の真似事でしょう)
私には、このような試みは、まったく非生産的で、宗教的自己満足としか映りません。なぜなら、そこには日本人(他者)を理解しよう、日本人(他者)の世界観を理解しようというと云う心は存在せず、君たちは間違ったものを信じているから、僕が信じている正しいものを教えてあげよう、という上から下への姿勢が見え隠れするからです。そこから引き出されることは、本人たちは気付いていないでしょうが、異教徒である日本人は彼らの伝道の対象(モノ)(mission object)であり、日本人は、彼らの宗教的自己満足(religious satisfaction)の道具でしかない、という
ことです。いくらそれが善意に基づいていても、です。
友人たちをバッシングするような話になってしまいましたが、私が言いたいことは、そこにメタファの破壊者であるイエスは存在するのか、ということです。イエスの視点に立ってものを見るというひとつの「決意」がそこにあるのかということです。ファリサイ人、律法学者たちは、自分たちの宗教理解の枠内から外れた者を、罪人、不浄と言って、遠ざけました。肢体不自由者、らい病人に対して「罪人」というレッテルを貼り付け、斯かる人たちを生きたまま、殺してしまったのです。それは、イエスの視点からはかけ離れたものでした。
長々と話しましたが、要は、むやみやたらに、聖書の世界観と日本人の世界観を混同して、一方的に裁くな、ファリサイ的なメタファでもって日本人の世界観に、いびつで一方的な意味を強制するな、同じ喜怒哀楽に満ちた人生を生きる人間として、日本人の意味の世界を除いて見ろ、と言うことです。
偉そうなことを言いましたが、さて、私はどうか、と自問しますと、時に似たような間違いを犯してしまっていることに気が付かされます。皮肉なことですが、善意からです。その時、私は知らねばなりません。罪からの解放者イエスの視点に立ち、主の姿勢に倣うと言う「決意」がそこになかったならば、私の善意は律法主義に変容してしまうと言うこと。そして、誤ったメタファだけが残り、イエスの福音は決して伝わらないと言うことです。[1]
[1] 本説教序論と本論は山形孝夫著『聖書の奇跡物語―治癒神イエスの誕生』(朝日新聞社、1991)から多くの情報と示唆を受けています。 |