メッセージバックナンバー

2007.12.23 「クリスマスという出来事」 ――天からの贈り物―― 
ルカによる福音書2:1-21 吉良 賢一郎

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子に
ついて天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

イントロ

メリークリスマス(Happy Christmas)。ベリー・くるしみます、だ! と申される方も或いはおられるかも知れません。けれども、だからこそメリークリスマス、とこの朝互いに挨拶を交わしたいと思います。なぜなら、この世の闇夜に、神の御子がお生まれになったからです。生まれてくださったからです。
ところで、私たちは何故このシーズンを「クリスマス」と呼ぶのでしょうか。話の本題に入る前に、知っていそうで意外と知らないこの言葉の意味を確認致しましょう。「クリスマス」という言葉は「キリスト」と「ミサ」という二つの言葉から成り立っています。「キリスト」はもちろんイエスを指します。ギリシア語ではフリストス(ハリストス)。ヘブライ語の「メシア」(救い主)の訳語ですから「救い主」の意です。ちなみに、フリストスは語源的にはその動詞形であるフリオー(油を注ぐ)と言う語から派生した「油注がれた者」という意味の名詞で、その背景には、王を立てるときにオリーヴ油を頭に注ぐという古代イスラエルの宗教的伝統・習慣がありました。ですから、「キリスト」(救い主)という場合、「王」というニュアンスも含まれるのです。約束のメシアは「ダビデの王権を継承する」といった表現が聖書に出てくるのもそれと関係があります。また、今朝私たちに開かれているルカによる福音書が記していますように、ヨセフとマリアは、ローマ皇帝アウグストゥス(B.C.30からA.D.14までローマ皇帝)の勅令によって行われたローマ帝国住民の住民登録のために、イスラエルの黄金期の礎を築いたダビデ王の出身地として知られるベツレヘム(「パンの家」の意。パレスチナ最古の町のひとつ)という小さな町に上って行ったという物語が、王の王、まことの救い主イエスの伏線として描かれているのです。
また、「ミサ」(ラテン語)という言葉はローマ・カトリック教会の礼拝に当たる言葉です。このことは皆様ご存知でしょう。日本語では「聖体拝領」などと訳されたりもしますが、平たく言いますと「礼拝」です。つまり、「キリストの礼拝」、これがクリスマスという言葉の意味です。
[1] クリスマスとは、それ故、イエス・キリストが約2000年前にこの世にお生まれになったことを祝い、記念する日なのです。(今年はユリウス暦を用いる東方正教会でもクリスマスは同じ日であると、ニコライ堂の掲示板にありました。東方正教会の本家であるギリシアでは「カラ・フリトゥーゲナ!」と互いに挨拶を交わします。「キリストがお生まれになった!」という意味です。

I.                   飼い葉桶に王が?

 さて、本題に入ります。物語は月が満ちてマリアが男の子を産んだところから始まります。ヨセフたちがベツレヘム滞在中にマリアは産気づいたのか、あるいは町に入ったときちょうど産気づいたのか、福音書の記述からだけでは正確にはわかりません。また、ルター以来の伝統となっている「宿屋」が一杯であったのか(NTDルカ2章の項参照)、もしそうでなければ一間の居間に家族と家畜すべてが一緒に寝起きしていた当時の一般庶民
の家に泊まるのが困難であったのか(新カトリック聖書注解ルカ2章の項参照)も明らかではありません。けれども、想像できることは、住民登録のためにベツレヘムに戸籍のある人々が各地から押し寄せ、小さな村がごった返していたということです。そして、旅人が泊まれるような宿、しかも出産できるような宿は皆無であったということです。そこで、二人は、やむなく、でしょうが、家畜小屋を見つけ、マリアはそこで男の子を産むのです。当時はしばしば洞窟が家畜小屋として用いられていましたから、或いはマリアは洞窟で出産したのかもしれません(ユスティノス「対話」78参照)。そして、産声を上げた男の子は飼い葉桶に寝かされるのです。
みなさんはどのような光景をこの物語の中に思い浮かべるでしょうか。ネイティヴィティー(キリスト降誕の図)のような牧歌的な絵でしょうか。ヨーロッパ美術にあるような神々しい情景でしょうか。神の子、世の罪を取り除く救い主がお生まれになったのですから、芸術家たちが神々し
い情景を描きたくなる気持ちは分らなくもありません。また、そのような絵画によるイメージに慣れ親しんでいる私たちがそこに牧歌的世界を思い浮かべるとしても無理はないでしょう。けれども、ルカが伝える光景は、そのような芸術家の美的センスとは、残念ながら、まったく無関係なのです。なぜなら、「飼い葉桶」とは家畜の餌の桶だからです。おそらく馬やロバやラクダのための餌桶であったのでしょう。皆様も一度は飼い葉桶の類をご覧になったことがあるはずです。美しいどころか不衛生極まりない代物です。しかもパレスチナの夜は冷えますから、仮に石造りの餌台であれば冷たかったでしょうし、壁掛け型の木製の飼い葉桶であれば隙間から入る冷気が身に凍みたでしょう。そして、赤ちゃんでありますから当然、オムツをつけ、恐らく、貧相なうぶ着で包んであげたのです。家畜小屋にしか泊まることの出来なかった二人が持っていたうぶ着ですから。
これが主イエス・キリストの誕生劇です。これが世の罪を取り除く神の子羊の誕生シーンなのです。この光景を見て私たちは「これがメシアか?」と落胆するでしょうか。確かに、ステンドグラスにはめ込まれたイエスとは似ても似つかないかも知れません。ロンドンのウエストミンスター・アビーやローマのサン・ピエトロ寺院、ワシントンD.C.のナショナル・カテドラルを挙げるまでもなく、今日私が首にかけている古びたローブに刻印されている主のイメージとも似ても似つかないでしょう。けれども、このような誕生のされ方をして下さったイエスだからこそ、人々の悲しみをいわば代弁している不潔な飼い葉桶の中に生まれて下さったイエスだからこそ、私たちは喜ぶことができるのです。感謝の歌声を上げることができるのです。グロリア・インエクシェスシス・デオと神を賛美することができるのです。なぜなら、私たちは貧者だからです。心の貧者だからです。悲しむ者だからです。苦しむ者だからです。孤独の中を生きているからです。先の見えない闇夜の中におり、何かからの解放を必要としているからです。体はぴんぴんしているのに、本来あるべき姿から外れ、存在を根底から腐らせていく「何か」に翻弄されているからです。その何かを聖書は「罪」と呼びます(ギリシア語では「アマルティア」(「的を外した状況」の意)。この幼子は三十数年後、私たちの罪を背負い、生まれた時と同じみじめな姿で十字架上で処刑され、三日の後に復活します。幼子イエスの誕生が私たちの喜怒哀楽に満ちた人生を映し出し、イエスの十字架は私たちの罪を帳消しにし、イエスの復活は私たちの存在を贖い、その人間存在を根底から回復して下さるのです。「新しい存在」へと造りかえて下さるのです。ルカもイエスの誕生物語の中に、既に「十字架」を見ているのでしょう。イエスの誕生そのものが十字架を指さし、イザヤが預言したイエスによる私たちの罪の贖いをここに見ているのでしょう。

II.                  羊飼いへの告知

福音書の逆説は続きます。創世記の初めから神が宣言してきた約束のメシア誕生の第一報は、エルサレルの王宮にいる雅な人たちにでも、エルサレム神殿の高位聖職者たちにでもなく、羊飼いたちに届けられます。パレスチナにおける羊飼いという仕事はヨーロッパ美術に描かれているような牧歌的な仕事などでは決してありません。彼らは単純、純朴であったかも知れませんが、夜通し羊の番をし(オオカミやジャッカルから守るため)、
牛馬のように働いても大した収入を得ることができない、そういう人達でありましたから社会的には下層階級に属する「貧者」でした。しかもベツレヘムはユダの荒野の端に位置していましたから、福音書に登場する彼らの仕事は想像以上に大変であったと思うのです。けれどもなぜ、羊飼いたちに救い主誕生の第一報が届けられたのでしょうか。なぜ、貧者に福音が届けられたのでしょうか。
実はこの物語の背後には、後にイエスと対峙し、その生き方、存在のあり方を徹底的に問われるエルサレムの為政者たち、ユダヤ教の宗教指導者たちが、福音書記者ルカによって既に想定されています。彼らへの痛烈な風刺が行間に表現されているのです。エルサレムの為政者たち、宗教指導者たちはイエスという神の啓示、人の形を取って受肉された神の言を拒みました。けれども、何も持たない(清貧などというきれいごとではない)、何も誇ることができないこのような社会的弱者が、無教養なただ人が、なぜか、神の啓示を、命の言葉を、命のたぎりを理解し、受け入れた。それも喜んで受け入れたのです。そのことはイザヤ書でこのように預言されています。

『荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ/大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ/カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。』(35:1-2) 

『そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり/乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは/葦やパピルスの茂るところとなる。』(35:5-7)

『主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰めシオンのゆえに嘆いている人々に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた/正義の樫の木と呼ばれる。』(61:1-3)

はたして、天使からの啓示におののきながらも、実際に飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見て羊飼いたちは「神をあがめ、賛美した」とあります。彼らが経験したことは何か。馬小屋での幼子との出会いで経験したことは一体何だったのでしょうか…。それは、「生きる理由」「生きる希望の獲得」であり「自己受容」であり「解放」です。そしてなによりも、確かに、昔も今もそしてこれからも歴史を導き、歴史に介入して下さる神との出合い(邂逅)であったと思うのです。「インマヌエル」(神が共におられる)の経験であったと思うのです。別の言い方をすれば、運命論、理神論[2] からの解放と言うことができるでしょう。希望があるところには生活が生まれます。
この救い主誕生の目撃者たちは証言者の役割を担っていきます。大変興味深い現象ですが、福音書でイエス出会った者は皆、イエスを証する者へとなっていくのです。
「神は世界を存在へと招かれる…」
「神は我々を教会へと招かれる…」
これは米国United Church of Christの信仰告白文ですが、なるほど福音書の中心メッセージを端的に表していますね。



まとめ

 年末を迎えて、私たちは今年の歩みを振り返り、その総決算の時を迎えています。みなさんはさまざまな思いでこの時を迎えておられるでしょうが、総決算の結果はいかがでしょうか。喜びに満ち溢れているでしょうか、「まあまあ」でしょうか。それとも、後悔の念に苛まれているでしょうか。私などは喜怒哀楽の錯綜した1年の日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、決して「ヨッシャー!」などとプラスの評価を下すことはできません。平たく言いますと、生身の人間であること、罪人であることを、今年も嫌というほど思い知らされたのです。けれども不思議なこ
とに、「それでも」主の恩寵を覚え感謝することができるのですね。「だからこそ」主の恩寵を覚えることができる、と言った方が正確かもしれません。そのような生身の人間である私に、また生身の人間の集まりである私たちめじろ台キリストの教会というキリスト者共同体に、まことに不思議なことですが、主は信仰の松明(トーチ)を委ねられました。そして、その松明を来る新しい年にも携え続けるようにと励まして下さっています。 先ほどThe TwelveDays of Christmasから多くのことを学べると申し上げました。この歌のシンボリズムとコード(code=暗号)を通してです。コードはコードであるがゆえ、大体において直接的kuネ表出の仕方はしません。その是非については個々人いろいろな意見がおありでしょう。けれども、時に我々が発するコード(存在のあり方)の裏に潜む「何か」に、ある人たちは「何か」を発見するかもしれません。そして、時に思いがけないところで、それがまばゆく光り、私たちの家族の、友人たちの、同僚の、ご近所さんたちの心を照らすかもしれない、と思うのです。
  控え目な言い方しましたが、本心を打ち明けますと、そうなると私は確信しています。キリストという松明は私たちの意思に関係なく、自ら光り輝くからです。『闇は光に打ち勝たなかった!』[6]





[1] もっとも起源をたどれば、原始キリスト教では、「ユウカリスト」(聖餐)の前に、求道者を含む一般大衆を相手した「シナクシス」(御言葉の礼拝)と呼ばれる典礼が行われていた。そして「シナクシス」から「ユウカリスト」に移る時、クリスチャンでない者は「ミッサ(退場)!」という呼び声で退席させられたので、「ユウカリスト」は「ミサ」と呼ばれるようになった。これがミサの起源である。ローマ時代末期にはシナクシスとユウカリストは接続されて一つの儀式となり、いわゆる今日で云うところの「ミサ」が誕生した。
[2] 英語では「deism」。世界の根源として神の存在を認めはするが、これを人格的な主宰者とは考えず、従って奇跡や啓示の存在を否定する説。
啓示宗教思想に対する理性宗教。
[3] 17世紀の古い英語の原詩ではこうなっています。No man is an Iland, /intire
of it selfe; /any man’s death diminishes me, /because I am involved in
Mankinde; /and therefore never send to know for whom the bell tolls; /It
tolls for thee.