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2006.10.29 「『良いこと』と『善いこと』の相異」 ―殺すことか、生かすことか―   マルコ3:1-6

イントロ

ファリサイ派はイエスの一挙手一投足に注目し、ことあるごとに安息日規定を引き合いにてイエスの律法無視を攻撃しました。今朝の個所もコ
ンセプトは同じです。けれども、今回のイエスの奇跡行為は主の生涯における重要なターニングポイントになります。治癒奇跡の数にすれば五度目
ですが、ここでマルコが強調しているのは癒し行為そのものではありません。イエスとファリサイ派の激しい「対立」です。この対立がファリサイ
派をはじめ、ユダヤ神殿宗教体制派の人々を、この後イエス抹殺の計画に駆り立てるのです。ここに十字架が明瞭な形で視界に入ってきます。[1]

I.                   虎視眈々とイエスを観察するファリサイ派と律法学者(安息日の癒し行為は禁止)

イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた(3:1-3)。

 イエスは会堂にお入りになられました。どこの会堂かは記されていませんが、ガリラヤのどこかの会堂です。或いはイエスが何度も出入りされたカファルナウムの会堂かもしれません。
ここに片手の萎えた人がいました。「萎えた」(クスィレノー)というギリシア語には「硬直した」という意味もありますから、具体的な病名はわかりませんが、この人の手は固まり使い物にならなくなっていたのでしょう。そこにいつもの如くファリサイ派が登場します。理由は、安息日にしてはならない「治療行為」(労働)をイエスがするかどうか確認し、イエスが癒しを行えば、即座に攻撃するためです。
前回も触れましたが、安息日でも命に関わる危急の時に限っては、斯かる人への医療行為は許容されていました。けれども、先の安息日におけるイエスの弟子たちの麦の穂を摘み取る行為と同様に、ファリサイ派の人たちは、この片手の萎えた人の状態を命に関わる危急存亡の時とは認めなかったのです。[2] ですから、彼らは「イエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた」のです。ルカ伝にはこのような記述もあります。「会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。『働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。』(13:14)」。けれども考えるべきは、安息日公同規定(昔の人の言い伝え)なるものは律法学者によって考案されたものであって、彼らが律法解釈の権威となっていた点です。つまり、あくまでも法の解釈者であった者たちがあたかも律法の守護者の如く振舞っていたということです。そして、彼らはイエスのどの治癒行為をも適当とは認めませんでした。
ところで、この片手のなえた人について、ユダヤ人キリスト者(ナザレ派とエビオン派)の間で使われていた新約外典のひとつである「ヘブル人への福音12:13」には興味深い伝承が収録されています。これは厳密には教会教父ヒエロニモスの註解書からの引用ですが、この手の萎えた人は「石工」であった、というのです。もしそうだとするなら何かの事故か病気で腕に障害を負ったのでしょう。しかも、描写のされ方が、黙示文学とは違い、色付けされることなく淡々と描かれていることから、この資料が持つ証言能力が非常に高い可能性があります。[3] 新約聖書正典には採用されなかったこのような外典、或いは口伝伝承は起源70年のエルサレム陥落までパレスチナには多々あり、その中には多かれ少なかれ、貴重な真理、証言を含んでいたと思われます。何しろ、イエスの言行録は当初は口伝として人から人へと語り伝えられたのですから。
いずれにしましても、この人の状況がどうあれ、イエスを追求しようとしていたファイリサイ派は、先ほども申しましたように、この人の状態が危急の状況には値しないということを確認するのに躍起でした。少なくとも、彼らの結論は「危急存亡の時にあらず」です。けれども、そのような画一的律法主義は、一番助けを必要としていた手の萎えた人の必要に目を向けることを完全に妨げてしまっていました。昔の人の言い伝えという「木」にばかり気を取られ、愛の結晶である神の律法という「森」には全く鈍感になってしまっていたのです。別の言い方をしますと、いわゆる良い子ちゃんの「良いこと」と崇高な「善いこと」の違いが判らなくなってしまっていたのです。ファリサイ派はこのあとイエスから裁きを含んだ問答を吹っかけられますが、このような鈍感さが、イエスの鋭い問いかけを受ける前に、既に自らの身に裁きを招いてしまっていると言って良いでしょう。[4] なぜなら、「彼らの良いこと」は手の萎えた人を二重に「殺す」ことに他ならなかったのですから。罪というメタファと昔の人に言い伝えによる「存在」の殺人です。

 さて、ここで片手の萎えた人に注目してみましょう。イエスは彼に言います。「真ん中に立ちなさい」。この時のこの人はどのような心境だったでしょうか。この人は今では、差別用語ですが、「片端」です。しかも、レビ記にある、このような障害者は祭司の務めをすることは許さない、という規定からも伺えるように、障害者に対するユダヤ社会の目は、総じて、決して暖かいものではありませんでした。イエスの弟子たちでさえ罪と病の関係を因果応報の関係で考えてくらいです。

あなたの子孫のうちで、障害のある者は、代々にわたって、神に食物をささげる務めをしてはならない。だれでも、障害のある者、すなわち、目や足の不自由な者、鼻に欠陥のある者、手足の不釣り合いの者、手足の折れた者、背中にこぶのある者、目が弱く欠陥のある者、できものや疥癬(かいせん)[5] のある者、睾丸のつぶれた者など、祭司アロンの子孫のうちで、以上の障害のある者はだれでも、主に燃やしてささげる献げ物の務めをしてはならない。彼には障害があるから、神に食物をささげる務めをしてはならない(レビ21:17-21)。

 このような既成概念があったにも拘らず、イエスは手の萎えた人を人々の真ん中に立たせます。それはその人に神の栄光が表される、またそれを人々が目撃するためです。

II.                  安息日に赦されていることはなにか。イエスの設問とそれに答えられないファリサイ派と律法学者

そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」
(3:4)。

 
 イエスはここで、ファイサイ派たちにいつものごとくカウンターパンチのような質問を浴びせます。彼らはハラハーというユダヤの慣例法規集に則って議論を展開したいのですが(イエスに彼らの土俵で議論するように強要する)、イエスはそのような神学的立場を飛び越えて、ファリサイ派にとっては飛躍とも思えるような、根本的な問を発するのです。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」 ファリサイ人や律法学者には究極的な問いです。けれども、イエスの言われていることは単純明快です。善を行わないのは悪を行うことであり、生命を救わないのは、体を癒さないのは殺すことである、とう二者択一の問いかけなのです。善きサマリア人の喩えに登場する祭司やレビ人のような善も悪もしないというような中途半端な態度は決してとれず、逃避の道も存在しない。つまり、論理的正しさに固着して善をなすことを怠り、結果的に悪を行わせるような律法主義の正統性を主張することは決してできない、ということなのです。[6] そこには本来、神学的立場による行動規制などあってはなりません。
 このような表現にファリサイ派や律法学者たちは納得いかないかもしれません。されば、イエスの主張をこう言い換えましょう。「良いことが必ずしも善いことではない。そして、(ユダヤ教の慣例では)悪いことも、実は善いことでありうる!」 善きサマリア人の話を見てみましょう。

ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来た
が、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した(ルカ10:30-34)。

 ファリサイ派も納得するもっと身近なたとえ話もあります。これはマルコにはないマタイ伝における平行個所の一節です。

そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がい
るだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」(12:11-12)

V.                  イエスの怒りと悲しみ

彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。
伸ばすと、手は元どおりになった(3:5)。

 このイエスの問いかけに対してファリサイ派は何も答えることができません。そこでイエスは、彼らの「頑なな心」に深い憤りと悲しみを覚えます。「頑なな心」とは、ヘブライ語世界のメンタリティーでは、従順な道とは全く反対の、神に対する頑迷な反抗の道です。つまり、自分では決して負うことのできない重荷を平気で弱者に負わせる宗教的達人の宗教的盲目、聖霊の自由な働きに対抗する頑迷さ、罪に対する鈍感さに、イエスは悲しみながら憤っているのです。もっとも、「怒って」とありますが、感情の爆発を表しているわけではありません。定着したまま沸きあがってくる怒りの感情を表しているのです。[7] ぶるぶる震えながら、「聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない」ファリサイ派の心の鈍さと耳の遠さと心の目の盲目と頑なさに、主はやりきれない思いで一杯になるのです。デオロギー化した人間不在の律法主義に対してです。
E. シュヴァツァーはこのようはファリサイ派の態度とその問題点を簡潔にまとめています。曰く、

この無感覚になった心は、人の困窮によってもはや動かされず、教義的(ドグマ)もしくは倫理的理論によって、自己を武装するのである。

律法を楯にとって人が言い逃れようとするとき、その律法主義は、生ける神に対して人を全く盲目にする。生ける神は、神を自分の理論の中にとらえたと思っている人の期待とは、まったく違ったふうに人に出会われる。[8]イエスは言われます。「手を伸ばせ!」 すると、この人の手は元通りになりました。遠藤周作さんのエッセイ集の「異国の友人たちへ」というタイトルの本がありますが、その中で遠藤さんはあるローマ・カトリック教会の神父を紹介しながら、立法主義の過ちをチクリと間接的に指摘します。私たちにも大きな示唆を与えるエッセイですので、紹介いたしましょう。

《神父の開いたスナック》
四十年前、私はフランスのリヨンで神父になりたての青年に出会った[遠藤の小説“Wonderful Fool” の登場人物
のモデルとなったネラン神父]。ちょうど朝鮮戦争が起こった年である。その神父は当時、日本に布教することを願っていた。後になって彼の話すところによると当時、「日本人は戦いに敗れた後、多くの者がキリスト教徒になりたがっている」とフランスで聞いたからである。とにかく、彼は海をわたって日本にやってきた。ロンドン大学とパリの東洋語学校とで日本語を学んだにもかかわらず、日本到着のころは言葉でもいろいろな不便を感じていたらしい。・・・。神父は日本でさまざまな形の布教を行った揚げ句、ある日、私にびっくりするようなことを言った。「長い間、日本人と接してきたが、日本人は酔わねば本心を打ち明けない。それでいろいろ、考えたのだが布教のためにスナックをやろうと思う」正直言って私は驚愕して反対した。彼は私の小説の登場人物とちがって神学者でもあるし、別の面で日本人の心のために役にたつと考えたからである。しかし彼は自分の決心を実行にうつした。新宿の区役所の近くのビルに「エポペ」というスナックを作り、神父でありながら、店ではチョッキを着て蝶ネクタイをしめシェーカーをふりはじめたのである。外国人神父がシェーカーをふる店ということで日本人の客が珍しがってやってきた。一年もすると固定客もできた。酔っぱらって神父に議論を吹きかける者もいたし店は小さな友情の溜まり場となった。そしてその客の中には神父が開く「聖書講座」にも出席する者があらわれ、少しずつ洗礼を受けw)るようになった。私は自分の小説のモデルになったこの神父を尊敬している。本来、フランスにいて神父などにならなければリヨンの富豪の息子として何不自由ない生活ができた男だ。その男が日本の、小さなアパートに住み、夜になるとチェーカーをふって働いている。彼は自分の[信仰]で生きたというだけでも尊敬をする。・・・[9]

まとめ(にかえて)

ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた(3:6)。
 
ヘロデ派は党派を意味するのではなく、時のガリラヤの領主であるヘロデ・アンティパスに追従する人たちのことです。ヘロデは、ファリサイ派から見れば、ローマの傀儡政権に他なりませんでしたので、本来でしたら、宗教原理主義のファイリサイ派とリベラルで実益最優先主義のヘロデ派は相容れないのですが、ガリラヤの治安を口実にヘロデ派を動かし、政治的にイエスを捕らえようとしたのでした。イエスの行為がファリサイ派をヘロデ派と結びつかせたのです。ここからいよいよイエスの十字架への歩みが本格化します。[10]







[1] マルコ2:1から3:6続いてきた対立のひとつの帰結。
[2] E. シュヴァイツァーはここでの癒しを「生命の危険がある場合だけ安息日にも許されていたひとつの医療行為として、評価されている」(NTD『マルコ』95)。
[3] WilliamL.Lane, The New International Commentary on the New Testament:The Gospel ofMark, 122(註7).[4] R. Alan Cole, Tyndale New TestamentCommentaries: Mark,131.
[5] ヒゼンダニの寄生によっておこる伝染性皮膚病で、指の間、手足の関節の内側、大腿部の内側、乳房の下、下腹部、陰部などにできる。夜間、激しいかゆみを伴う(小学館国語大辞典[新装版]1988)。
[6] E. シュヴァイツァー NTD『マルコ』95。
[7] 織田昭『ギリシア語小事典』orgh の項参照
[8] Ibid. 96.
[9] 遠藤周作『異国の友人たちに』(読売新聞社、1992)51-54。
[10] 人間を支配するイエスの権威(1:16-20)、病と悪霊(1:21-45)、罪と律法(2:1-3:5)。Ibid. 96.