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2006.10.15 「誰のための安息日か」 マルコによる福音書2:18-22 吉良 賢一郎
イントロ

先週は「旧か新か」という題目で、古い掟にいつまでも留まり続けないで、福音の恵みという新しい掟の世界に身を投じよ、というイエスのチャンレンジを学びました。
今回も文脈は再び、ユダヤ律法からの自由を主張するイエスの言説を背景とした、古い掟と新しい掟の対峙ですが、議論の対象は以前も取り上げられた安息日です。しかも今朝の個所では、マルコは更に突っ込んで、「安息日は誰のためにあるのか」「その日の主(あるじ)は誰であるのか」を論じて行きます。
これから暫しの間、引き続きマルコによる福音書から、私たちに与えられている「福音」を学んでまいりましょう。

I.                   安息日の麦摘みとファリサイ派の叱責

ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った(:23-24)。


場面はイエスの弟子たちが麦畑の中を歩きながら、麦の穂を摘んでいるところから始まります。[1] するとそこに、いつもの如く、タイミングよくファイリサイ派が登場して、イエスの弟子たちの行動を攻め立てます。攻撃の細先は当然、弟子たちの行動の責任者であるイエスです。きちっとしたラビ的宗教教育を受けた者には自明である宗教規定を守らない宗教素人集団を率いる、いわくつきのラビ、イエスに対してです。[2]
今回はどのような行動に対して攻撃でしょうか。日本語で「通っていく」と訳されているギリシャ語「パラポレヴォメ」には、「道を切り開く」というニュアンスが含蓄されていますが、この文脈では「麦を掻き分けて歩いた」程度の意味にしか読み取れませので、麦畑に入ること自体が問題にされているようではなさそうです。[3] いわんや「麦の穂を摘む」行為自体でもありません。なぜなら、弟子たちの麦の穂をむしり取る行為は、隣人の畑のぶどうをつまみ食いすること事と共に、聖書(律法の規定)に基づいて、ユダヤ社会では許可されていたからです。申命記23:25にはこのようにあります。

隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない。隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない(申命記23:25-26)。

大変興味深い記述です。この律法は、もともとのコンテキストにおいては、貧しい人や食べ物を必要としている人を保護するため、また旅人を旅行中の飢えから守るために定められました。取り分け、乾燥したパレスチナの大地から水を汲み上げるぶどうの木とその実は、パレスチナの乾燥地帯を旅するときの命綱のようなものであったと言えるでしょう。ぶどうの木は井戸のないところで井戸の代わりを果たしたのです。
農地所有者に課されたこのような取り決めの背景には申命記6章の言葉があったのかもしれません。[4]

あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい(申命記6:10-12)。

ちなみに、フランス人画家ジャン=フランソワ・ミレの有名な作品に「落穂ひろい」というものがありますが、古代パレスチナでもそのような習慣がありました。落穂ひろいは、先の規定と同列にある、貧しい者たちを念頭において生まれた心の温かい規定です。申命記19:10と24:19-21を共に読んでみましょう。

ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である(申命記19:10)。(梅ひらいとは大違い)

畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される。オリーブの実を打ち落とすときは、後で枝をくまなく捜してはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい(24:19-21)。

とりわけ、七年ごとに巡ってくる年には、農地に自然に生え出た作物はすべて貧しい人たちのためにそのままにしておかなければなりませんでした。

六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、七年目には全き安息を土地に与えねばならない・・・畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めてはならない・・・安息の年に畑に生じたものはあなたたちの食物となる。あなたをはじめ、あなたの男女の奴隷、雇い人やあなたのもとに宿っている滞在者、更にはあなたの家畜や野生の動物のために、地の産物はすべて食物となる(レビ記25:3-7)。

けれども、七年目の特別な年を除いて、他人の畑に入って食を得ることが赦されたのはこのような緊急時だけです。しかも、必要な分だけ獲得することが許されていただけであって、善意の決まりに付け込んだ必要以上の作物奪取は、盗み同等と見做されました。

弟子たちの空腹が危急存亡のレベルであったかどうかは別として、以上見てまいりましたように、ファリサイ派の非難は弟子たちが麦の穂をちぎって食べていたこと自体にはあったのではありません。彼らが指摘しているのは、それを「安息日」に行っていることなのです。ファリサイ派の発言の背後には、出エジプト記の「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である」(出エジプト20:10)という教えがありました。けれども、よくよく考えてみますと、出エジプト記では、労働の定義とその細目にわたる分類はされていません。
とは言うものの、他の個所では、安息日を神が祝福し聖別した、神への礼拝の日として規定していますので、時代が下るに従って(時代が律法を軽視するのと反比例して)その宗教的重要性が増していったのは事実です。けれども、安息日は本来、「皆に等しく休息を与えなければならない」と言うプラクティカルな理由から発展したはずです。それが、時代を下ったイエスの時代には、「安息日」だけが一人歩きし、新約時代にはユダヤ教のラビたちによって、実に複雑怪奇な規定が作られてしまったのでした。24節の「してはならないこと」とは正に、そのようなラビ伝承によるものです。具体的には、ミシュナ[5]で「禁止されている39の労働の分類」の三番目「作物の収穫」がそれです。
もっとも、この禁止事項に関しては、一応、出エジプト記34:21に支えられています。「あなたは六日の間働き、七日目には仕事をやめねばならない。耕作の時にも、収穫の時にも、仕事をやめねばならない。」 けれども、イエスの弟子たちが、ただ単に、道すがら麦の穂を摘んで食べていたことを出エジプト記の記述から拡大解釈し、「労働」と決め付けたことに、ファリサイ派の的を外した歪(いびつ)でイデオロギー化した律法主義があるのです。
このような律法主義は現代の教会、或いは宗教全体にも、ある程度当てはまるかもしれません。キリスト教会に限っては、聖書と古代教会の伝統の枠組みから離れて、あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない、と強引の聖書にこじつけて、集うメンバーたちをコントロールしようとする集団或いは個人がその類です。「エホバの証人」や同じ復帰運動にルーツを教会から発生した超異常律法主義集団「某教会」などは[6]その最たるものでしょう。

II.                イエスの引用の真意

イエスはファリサイ派からの攻撃を受けて、古代イスラエルの王ダビデのエピソードを引き合いに出しつつ、「(聖書を)読んだことがないのか」とファリサイ派を一喝します。

イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」(:25-26)

イエスがここで引き合いに出しているストーリーは、第一サムエル記21:2-7からのものです。長い引用ですが、部分的に省略しながら読んでみましょう。

ダビデは、ノブの祭司アヒメレクのところに行った・・・「何か、パン五個でも手もとにありませんか。ほかに何かあるなら、いただけますか。」 祭司はダビデに答えた。「手もとに普通のパンはありません。聖別されたパンならあります。」・・・普通のパンがなかったので、祭司は聖別されたパンをダビデに与えた。パンを供え替える日で、焼きたてのパンに替えて主の御前から取り下げた、供えのパンしかなかった。

ここを読んで「あれ? イエスの言葉とサムエル記の記述に整合性がないのではと?」と思われた方は私以外にもおられるでしょう。もし、そのような疑問を持たれたとしたら、聖書学の先生からは「良いセンスをしている」と誉められるかもしれません。(自分を誉めているわけではありません。為念)
もちろん大枠では主イエスの言わんとすることは明確なのですが、注意深く読んでみますと、二つのきわどい誤謬がイエスの引用の中にあります。ひとつは、大祭司アビアタルの時となっていますが、正確にはアヒメレクです。アビアタルはサウルによる祭司一家の大虐殺を逃れた人物で、アヒメレクの子でした(Iサムエル記22:20)。
このようなエラーが起こった背景を聖書註解者たちはいろいろと推測するのですが、それぞれが一様にいくつかの可能性を挙げています。ひとつは、アビアタルも大祭司であり、ダビデとの関係においては彼の父アヒメレクよりも聖書読者にとって馴染みが深かったので、マルコがサムエル記の記事を入手する前に、このようなエラーが口伝伝承の中に入り込んでしまったとする説。もうひとつは福音書の編集作業の中で、不正確な資料をマルコが使ってしまったとする説。[7]
他にもいくつかありますが、記憶の混乱がどのように起こり、エラーがどの時点で入り込んできたのかはさておき、最初の教会史家と呼ばれる三世紀のエウセビオスを引用するE. シュヴァイツァーのコメントが私た
ちには一番助けになります。曰く

あらゆる部分を完備している旧約聖書[一冊にまとまった旧約聖書ということ]は、当時極めて高価なものであったから、紀元二世紀に小アジアにいたある司教は、パレスチナまで旅をしてはじめて、一冊の旧約聖書をある教会で見つけた、というほどである(エウセビオス第四巻26章14節)。そういう事情であったから、聖書を開いて記事を確かめることはできなかった。[8]

 もうひとつイエスの発言とサムエル記の記述の不整合があります。それは、ダビデがパンを食べた日は安息日ではないということです。今回の聖書個所のテーマから考えて、こちらの誤謬の方が深刻でしょう。サムエル記のストーリーから読み取れることは、危急の場合には律法を破るのもやむなし、ということだけで、安息日の労働をサポートする論拠は見出せません。このエピソードは安息日とはまったく絡まないのです。ある人に言わせるとイエスの屁理屈です(E. シュヴァイツァー)。 けれども、イエスがこの発言に込めたことは、「ダビデもモーセの律法で禁止されていることをある特定の状況下で例外的に行ったが、それにも拘らず、神はダビデを罰しなかったではないか。君たちファリサイ派や律法学者の理屈は首尾一貫しておらず、[9] 律法(モーセ五書)の解釈の仕方は、聖書の趣旨から極端に逸脱しているではないか。君たちが後生大切に抱え込んでいる伝統も、律法が本来持っていた意図を甚だしく飛び越えて、血の通わない宗教イデオロギーに陥ってしまっているではないか!」、ということです。イエスの憤りがひしひしと伝わってきます。 主イエスがここで言わんとすることはひとつです。律法は人の重荷になるために与えられたのではなく、助けるために与えられたのだ、ということです。それは安息日も例外ではありません。

III.             安息日は人のためにあり

そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」(:27-28)

このセクションが最も重要ですので、本来でしたらここに一番時間を費やすつもりでしたが、周辺的なことを多く語るなかで、外堀がだいぶ埋まりました。ですので、この解ったようでわからないようなイエスの言葉の深遠な意味は、今や素読するだけでも輪郭が浮かび上がってきますでしょう。
イエスは言うのです。「安息日とは本来喜びに満ちたものだ、なぜなら神が自らそれを定め、人の休息と神との交わりのために与えられたからだ。安息日に代表される神の律法は、根源的には、人間に対する神からの賜物である」(律法に対する人間の優位性)。そして、イエスはこう結論付けます。「私がそのような安息日の回復者、父なる神と人との平和の架け橋なのだ」(律法に対するイエスの優位性)。人の子は安息日の主でもある。[10]
以上述べてきたことをw)、キリスト教の文脈で言いなおすならば、教会は本来喜びに満ちて、楽しいところなのだ。何かをせねばならないから行かなければならないところではなく、共同体で神と出会いたいから、お互いが日々の生活で経験してきた求道の歩み、信仰の「天路歴程」を分かち合いたいから、喜怒哀楽の人生の中で与えられたイエスという福音の恵みを分かちたいから行くのだ。人が教会のためにあるのではない、教会というキリスト信仰者の共同体がお互いのために、またイエスを必要とする人たちのためにあるのだ、ということになりますでしょう。

まとめ

ファリサイ派たちは、神の配慮の賜物である「安全装置としての律法の性質」をすっかり見失い、なぜ戒めがあるのか、それは何のためにあるのか、どのような目的で人間に与えられたのか、を問うことを止めてしまいました。そのような思考の停滞が神の恵みへの鈍感さを幾重にも引き起こし、神の恵みへの鈍感さが、歪でよどんだ神理解と律法理解、倒錯した選民意識と律法主義という名の原理主義(ファンダメンタリズム)を生み出してしまったのです。
人のために与えられた安息日は当然、彼らにとっても「恵み」ではなくなり、己を縛り付ける義務に成り下がってしまいました。そのような盲目な牧者たちに安息日の主の発見は到底期待できません。



[1] 麦が収穫時期であったことから、時期は、「過ぎ越しの祭り」(Passover)の後の四月から六月の間と考えることができるでしょう。
[2] R. Alan Cole, Tyndale New TestamentCommentaries:Mark,128.amh?-?retz=(the people of land
[3] E. シュヴァイツァー『マルコ』90(NTD).
[4] Gary Hall.  The College Press NIV Commentary:Deuteronomy.Joplin:CollegePress Publishing Company (2000), 355.
[5] ゲマラ(補遺の意)と共にタルムードを構成する一部。タルムードはゲマラとミシュナ(反復の意)から成り、前者はモーセ律法の口伝解説の集成、後者はその註解に当たる。タルムードから、我々は、2000年近くにわたるユダヤ人の社会生活、精神文化を垣間見ることができる。
[6] 某教会は、その律法主義的あり方に内部で批判が相次ぎ、目下体質改善のための努力をしているようです。
[7] William L. Lane, The NewInternational Commentary on the NewTestament:TheGospel of Mark, 115. ただし、「主要な古い写本やマタイとルカの平行個所ではアビアタルが登場していkuネいことや、他のより新しい写本が「アルヒエレオス」の前に前置詞を付けていることから、『後に大祭司となったアビアタルの時代』という意味にもなりうる)(詳しくはWilliam L. Lane, The NewInternationalCommentary onthe New Testament: TheGospel of Mark, 109の註85参照)。
[8] E. シュヴァイツァー『マルコ』91(NTD).
[9] William L. Lane, The New International Commentary on theNewTestament:TheGospel of Mark, 117.
[10] 実は、ユダヤ教のラビの中にもそのような理解を持っていた人が少ないながらいました。そのひとりは一世紀後半のラビ、シメオン・ベン・ミナシャです。彼は安息日の性質に関して、イエスと全く同じことを言います。読んでいるヘブライ語聖書の原文は同じはずなのですが、シメオンは、出エジプト記の本来の読み方である「安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。」(31:14)「それは、あなたたちにとって」を「あなたたちのため」にと解釈して、そこから「あなたたちのために安息日は与えられたのだ」という結論を導き出すのです。