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2006.09.24 「一視同仁の晩餐」 マルコによる福音書2:13-17 吉良 賢一郎
イントロ

 本日の奨励の題に上げました『一視同仁』(いっしどうじん)という言葉は、唐代の文人、韓愈の著作の中に出てきます。その意味するところは、「すべての者を分け隔てなく同等の者と視て、同じように仁愛を施す」です。[1] もちろん、七世紀の中国を生きた韓愈が福音書からインスピレーションを受けたわけではないでしょうが、今朝私たちの前に開かれているテキストを読みながら、この言葉を思い出しました。罪人を食卓に招かれるイエスの姿からです。
 先週は罪を赦す権威者としてのイエスを学びましたが、今朝は、罪びとと共に食事をされるイエスの姿を学びましょう。そして、主の行動から、主がもたらされる救いはとは何であり、それは誰に訪れたのか、を見てみたいと思います。

I.                   レビの招き

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った(2:13-14)。

 話は、イエスが湖のほとりに出て行かれ、そこに集まった群衆に教えられるところから始まります。[2] このような、湖畔での教え、イエスのもとに集まる群衆、という場面設定(様式)はマルコによる福音書に良く出てきますが[3]、今回主がガリラヤ湖畔の町カファルナウムに再び戻られた理由は、先取りに形になりますが、そこに収税所があったからです。収税所(テロニオン)とは文字通り税を納めるところ、或いは取り立てるところですが、主がカファルナウムに戻られた理由はもちろん、税金を納めるためではありません。そこである人物に会うためです。それは14節に出てきます、徴税人「アルファイの子レビ」にです。
 ところで、徴税人(テローニス)とは一体何者でしょうか。もちろん、字義通りには、英語で tax collector とか tax-farmer、customs officer などと訳されているよう に、税金徴収を生業とする人たちですが、マタイによる福音書10:3で、わざわざ「徴税人のマタイ(レビ)」[4] と彼の仕事が但し書きされていることから考えて、どうも税金徴収と いう一職業に従事している人という単純なことではなさそうです。本日のテキストの徴税人が罪人と一括りにされている記述を待つまでもなく、徴税人は福音書の至る所で大バッシングを受けていますから、彼がユダヤ社会の中で如何に疎ましい存在であったかは容易に察することができるでしょう。
 福音書に出てくるもうひとり徴税人、ザアカイなる人物の挿話には、その理由がより具体的に記されています。少し長いですが、一端マルコ伝を離れて、ルカ伝19章に収められているザアカイのストーリーを見てみましょう。

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブ ラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(イタリック体は吉良による)

 ザアカイの話で注目したいのは、まず彼が「金持ちであったこと」、そして(恐らく)皆から「わざと遮られていた」という点です。その理由は、どうも彼の税金の取立ては公明正大ではなく、不正まみれであった点にあったようです。ですから、彼は金持ちになっていたのであり、回心の後「騙し取ったものは四倍にして返します」と発言したのです。
 また、ザアカイを初めとする徴税人に対する民衆の嫌悪感は、彼らがパレスチナに侵略してきた為政者であるローマ帝国の手先として、税金を取り立てていた点にもありました。何にも増して、このことが徴税人が軽蔑の対象になっていた最大の理由です。
 彼らはローマ帝国の正式な官吏(役人)ではありませんでした。ローマの正式な税関の役人は、馬に乗ることが許されるような高官です。福音書に出てくる徴税人は、そのようなローマの役人の元で働く、いわばユダヤ人の税金取立ての下請け業者だったわけです。しかも、取り立てた税金はローマ帝国や傀儡領主に納めされるか、エルサレムなどでは町の財政に当てられましたが[5]、彼ら自身はローマから給料が支給されていたわけではなく、今日の言葉で言いますと、独立採算制の仕事でした。システムとしては、徴税人の頭の権利は最高金額で入札した者に与えられ、徴税人の頭は、更にその下で働く平の徴税人を雇い入れると言ったものです。[6] そして、独立採算制ですから、彼らは必要以上の税を取り立て、その余剰を彼らの収益としたのでした。しかも、徴税人の大半はユダヤ人でありましたから、同胞から搾取していた彼らがどれだけ憎まれ、軽蔑されていたかは論を待たないでしょう。事実、バビロニアン・タルムードは、徴税人たちを殺人者や泥棒と一括りにして列挙しています。[7]

 さて、イエスがカファルナウムの町に入られるとき、レビという徴税人が収税所に座っているのをご覧になられました。[8] ユダヤ教の文献によりますと、徴税人は二つのグループに分けられ、一方は所得税と人頭税の徴収を担当し、他方は橋や運河、国道なとの通行税の徴収を担当した、とありますから、レビはその後者の方でした。そして、後者の方が不正に税を徴収する機会が多くあったようですから、人々から相当憎まれていたのでしょう。[9] 彼はここで何らかの交通税を徴収していたものと思われます。
 そのようなレビを見るなり、主は「わたしに従いなさい」と言われました。するとレビは「立ち上がって(アナスタス)イエスに従」いました。ペトロとアンデレの招きの時と同じで、マルコの記述では、「呼び出し」と「応答」の間には何も書かれていません。レビはイエスから呼び出されて、何も言わすにすぐさま従ったのです。マルコにとって、この時のレビの心理状態などは興味の対象外で、ここで重要なことは、レビという罪人をイエスが招かれ、その一方的恵みの招きをレビが理屈抜きに受け入れたと言うことです。イエスの権威ある言葉が、理屈抜きに、人々を御後に従うものにしてしまうのでしょう。
 イエスの招きと言うのはこのようにいつも突然に、時、人を選ばすに人々に迫ります。しかも、ユダヤ教の宗教的価値観から見れば、いわば「救いの外」にあると見做されていた徴税人(罪人)が招かれたのです。一番驚いたのはレビでしょう。罪人のレッテルを張られていた男が、ラビから「弟子になれ」と大変名誉な召しを受けたのですから。神の逆説という他ありません。

II.                ファリサイ派と律法学者の問い

イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った(:15-16)。

 場面は変わり、イエスがレビの家で、罪人[10] や徴税人たちと共にレビが催した宴席に着いているシーンに話が移ります。日本語では「食卓に着いている」とすっきり訳されていますが、ギリシア語本文では「食卓に横たわる」(スィナナキーメ)と書かれています。より詳しく描写しますと、「左ひじを食卓について上半身を支え、足は斜め右後ろに伸ばして着席」[11] したのです(日本では 行儀の悪い姿勢ですね)。パレスチナのみならず、地中海地方の習慣では、会食の食事はこのようにしてとりました。それは、イエスが催された過ぎ越しの食事、いわゆる「最後の晩餐」も然りです。イエスと弟子たちは、このように体を横たえて会食したのでした。ですから、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な絵画「最後の晩餐」は、ヨーロッパ人の想像を最後の晩餐のシーンに投影しただけで、実のところは正確ではありません(めじろ台教会の聖餐台にも彫刻されていますけれども)。
 この食事の雰囲気が一体どのようなものであったのかは、福音書の記事だけでは分かりませんが、楽しく、愉快な一視同仁の晩餐であったような印象を受けます。罪人と言われる人の中には、娼婦がいたかもしれませんし、外国人(非ユダヤ人)がいたかもしれません。いずれにしても、正統派ユダヤ人、しかもその宗教指導者たちから見れば、彼らは皆、アウトカーストだったのでしょう。けれども、そこには人と人を隔てる壁など存在せず、罪人のレッテルも交わりを妨げるものではありませんでした。そこにあったのはただただ神からの和解の交わりだけです。神を中心に戴く御国の大王宮晩餐会は、このようなものなのかもしれません。
 けれども、この光景に憤慨した者たちがいました。ファリサイ派と律法学者たちです。彼らはイエスの弟子たちに「お前たちのラビはなんで徴税人や罪人と一緒に雑魚寝しながら、愉快にメシを食っているんだ!」と詰め寄ります。ラビが汚れた者たちと、汚れた食卓に着き、肩を寄せ合いながら汚れた食事を共に食すことなど有り得ないことだったからです。マルコが使う様式を無視すれば、彼らがタイミングよくこの場に現れるのはまことに不思議と言うほかありませんが、マンガ『北斗の拳』の「北斗現れるところに乱あり」という有名な格言のように、イエスの現れることろには、必ずトラブルメーカーたちが登場します。
 彼らは、まがりなりにもラビとして活動するイエスが、律法やファリサイ的生き方とは相容れない、まったく正反対の生き方をしている「罪人」たちと食事をしていることに戸惑い、激しく憤りました。彼らにしてみれば、この晩餐に集っている者たちは神の律法を無視する無律法の無法者です。汚れた者たちです。ここで供された食事も、ユダヤ教の宗教規定に則ってきちっと調理されていなかった可能性もあります。それにも拘らず、イエスは「罪人」と「義人」の壁を設けず、罪人たちとの愉快な会食と言う形で、律法主義という血の通わない宗教イデオロギー(イズム)に対して、静かに、けれども激しく挑戦するのです。

 私たちはここに登場するファリサイ派や律法学者たちを見て、何とも冷たい連中だと思うでしょうか。確かに、福音書の記述からは冷徹な印象を受けます。けれども、忘れてならないのは、彼らのこのような態度は、結果はどうあれ、彼らのマジメさの故なのです。律法の教えに厳格に歩もうとする一心から生じているのです。
 そのような律法主義と言う落とし穴に陥る可能性は私たちにもあります。儒教とピューリタニズムがミックスされた日本の保守陣営の教会は特に、です。もちろん同様の傾向はピューリタン色の強いアメリカの保守的教会にも時折見受けられます。実際に私は幾度となく、そのような光景を目にしました。
 けれども、何年か前に、本日の福音書にあるイエスの姿を髣髴させる逸話を、米国の保守的教会で聞きました。それは中くらいのサイズの、どちらかと言うとハイチャーチ的でマジメな人たちが集っている教会での話です。

 この教会の隣には大学が隣接していて、会衆はそこで学ぶ若者たちに伝道ができればと思っていました。そして、時折トラクトを配布しては、大学生たちに教会を紹介し、礼拝に参加するようにと勧めたのです。すると、ある日曜の朝、その大学で学ぶひとりの学生が礼拝にやってきました。けれども、そのなりはヒッピーそのもので、モサモサの髪に短パン姿、しかもビーチサンダルを履いていました(米国の、おしゃれをして教会に行く習慣がまだ根強い中でのこのいでたちです)。しかも、礼拝の途中から入ってきたにも拘らず、左右の聴衆席には目もくれず、会堂の中央を悠然と歩き、講壇の目の前で床にしゃがみこんだのです。それを見ていた会衆は、大学生の礼節をわきまえない服装と態度に苛立ち、誰か彼を注意してくれないものかと思いました。すると皆から尊敬されているこの教会の大長老がすくっと立ち上がり、大学生の方に向かって歩き出したのです。聴衆は皆、この長老が大学生を注意してくれるものかと思っていました。ところが彼は、ヒッピー風の大学生の横にちょこんと並んで床に座り、一緒に礼拝の時間を過ごしたのです。周りが唖然としたのは言うまでもありません。長老はここで、信仰者の大切な見本を会衆に示しました。それは、この若者と同じ目線に立ち、共に神を礼拝することにおいてです。教会の会衆はこの長老からイエスの姿勢を学びました。そして、この教会を訪れたヒッピー大学生は、しばらくしてからバプテスマされ、クリスチャンとなりました。

III.             誰が医者を必要とするのか

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(:17)

 このイエスの言葉は、ユダヤ教の文献にもギリシア哲学の文献にも登場する格言です。[12]  ギリシアの遍歴哲学者はこの格言を好んで使ったと、ものの本にありました。
「遍歴哲学者が下層の民と交わっているのを、人から非難されたとき、ある人はこう答え」たそうです。『医者も健康な人々に教えるのではなく、病人のいるところで教えるのが普通ではないか』」。[13] イエスは、教育を受けた者ならきっと誰もが知っていたであろう有名な格言を用いて、「自分は何のために来たのか」というキリスト教の中心主題を鋭く射抜きます。正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ、と。
 主のこの宣言は、山上の垂訓を思い出させます。「自分のうちには義がないと飢え渇く者たちは、幸いだ。なぜなら、神はそのような者たちを、神から一方的に与えられる義で満たしてしまうからだ。」(マタイ5:6意訳) イエスは、義のない者たちのために来られたのです。それは、そのような者たちの中に、神から一方的に与えられる義で、義の作業を開始するためです。神の子イエスご自身が十字架の上で流された血潮で罪を洗い流し、罪人をそのままの姿で洗い清めてしまうためです。律法学者たちは律法に生きる者だけにしか救いはないと考えましたが、イエスはこの晩餐で、ユダヤ教の律法に生きない、或いはそれを知らない、その外にある病人たちにも救いは及ぶのだ、と宣言したのでした。しかも、その救いは他ならぬイエスという医者(治癒神)によってです。既存の価値観を大逆転させる発言です。
 もっとも、イエスの発言は一見義人の存在を認めているように響きますが、実は、これは自らを義人と信じて疑わない者たちへの警告と皮肉です。なぜなら、義人は神からのメシアを信じる者であり、常に信仰で神の背中を追い求める者だからです。パウロはそれを、「信仰による義人は生きる」(ローマ書)と一言で集約しました。けれども、ファリサイ派や律法学者たちは、己の正しさに頼りすぎて、人は日々神を必要としていること、生命と存在の根源である神なしには生きられないことを忘れてしまっていたのです。神様、神様、神の律法、神の律法と連呼する彼らでしたが、現実は、毎日の生活で神をそれほど必要としなくなってしまっていたのです。なぜなら、彼らは「義人」だからです。けれども皮肉なことに、この似非義人たちは、神がイエスにおいて来られた時、自分の罪を認めることができず(或いは、罪にすら気が付かず)、神の御子を否定して、最後は十字架につけてしまいました。
 この現実を踏まえますとき、以下のパウロの言葉は重く響きます。

「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。」(ローマ3:10b-3:12a口語訳)

まとめ

 今朝は、罪人と共に食事をされるイエスの姿から、主がもたらされる救いと、それが誰に訪れたのかを学びました。主イエスは一視同仁の晩餐をもって、罪人を神との交わりの中に連れ戻されます。彼らは、イエス・キリスト抜きには生きることのできない「病人」(罪人)でした。マルコはこのストーリーを通して、私たちにひとつのことを問いかけているように思います。人は、このイエスを必要としているのか、それともイエスなしでも生きられるのか、と。



[1]『故事ことわざの辞典』(小学館1986).
[2] 新共同訳聖書や新改訳聖書と違い、口語訳聖書では「海べ」、NASVでは “seashore,” NRSVでは “beside the sea” と訳されているが、これは新約聖書ギリシア語原典の「サラッサ」を直訳したことによって生じた相違である。「サラッサ」の文字通りの意味は「海」であるが、福音書の中では、ガリラヤ湖も死海も「湖」とは表現されず、「海」と書かれている。「陸」とは反対のところという意味で「海」と呼ばれるようになったか。
[3] 川島貞雄『マルコによる福音書』教文館、87.
[4] レビはヘブライ名で、マタイはギリシア名。当時のパレスチナのユダヤ人たちはこのように名を二つ持つのが一般的であった。
[5] A. N. Sherwin-White, Roman Society and Roman Law in the New Testament (Oxford: 1963), 125.
[6] E. シュヴァイツァー『NTDマルコ』81.
[7] The Babylonian Talmud Baba Qama 113a (Quoted from William L. Lane, The New International Commentary on the New Testament: The Gospel of Mark, 101).
[8] レビがいた収税所は、ヘロデ・フィリポの領地とデカポリスからの旅人たちがガリラヤ湖最北で初めに遭遇する町カファルナウムにあった。レビはヘロデ・アンティパスの官吏として徴税人をしていたのかもしれない(William L. Lane, The New International Commentary on the New Testament: The Gospel of Mark,  101)。
[9] J. H. Moulton and G. Milligan, The Vocabulary of the New Testament. 377-380.
[10] この場合の「罪人」とは、モラルに関する「罪」よりも、ファイリサイ的な生き方をしない人たちを指すと Lane も Cole も指摘する(William L. Lane, The New International Commentary on the New Testament: The Gospel of Mark, 103-104; R. Alan Cole, Tyndale New Testament Commentaries: Mark, 124-125)。
[11] 織田昭『新約聖書ギリシア語小事典』教文館(συνανακειμαι の項)
[12] William L. Lane, The New International Commentary on the New Testament: The Gospel of Mark, 104.
[13] E. シュヴァイツァー『マルコ』79-80.