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2005.12.25 クリスマスメッセージ 「救い主キリストの誕生」 吉良 賢一郎
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。(マタイによる福音書1:18-25[日本聖書協会 口語訳聖書])

 メリークリスマス! ローマ暦を採用しているプロテスタント諸教会やローマ・カトリック教会では、本日12月25日が「クリスマス」として祝われています。けれども、広いキリスト教の世界には、ギリシャ正教を初めとした東方正教会のようにユリウス暦を採用する教会もあります。ユリウス暦に従いますと今回のクリスマスは、年明けの1 月7日です。頭の片隅にそのことを覚え、1月7日には、エルサレムから東方に広がった教会の仲間たちともクリスマスをお祝い致しましょう。

イントロ

 私の恩師である、キリストの教会無楽器群伝道者の野村基之さんは、私がアメリカで神学を学んでいた四年間、クリスマスの時期に必ず、「メリークルシミマス」という一句を添えたメールを送って下さいました。それは、日本同様、物質主義に染まりに染まったアメリカの只中にいる貧乏学生、しかもクリスマスの季節をひとりで過ごしている私への「慰めと憐れみのこもった言葉」でした。たしかに、アメリカでは、11月末の感謝祭の翌日から、おぞましいクリスマス商戦が繰り広げられます。テレビの画面には、クリスマスセールの宣伝がひっきりなしに繰り返され、街中の商店も同じように、客の目を引こうと、考え得る限りのクリスマスの飾り付けをし、あの手この手を使って消費者にアピールします。資本主義社会のシステムとしては十分に理解できますし、私も、50ドル以上入っていたことのないポケットでしたが、その中からお金を出して、大切な友人たちのために、いくつかプレゼントを買いました。他の多くの人たちのように私もプレゼントに心を込めましたが、外側からドライに見れば、私もまた、「クリスマス商戦」に参加してしまった、と言うこともできるでしょう。
 その「クルシミマス」のメッセージですが、一年目はそれほどピンと来ませんでした。日本の「似非クリスマス」商戦もどうしてどうして、アメリカには引けを取りません。けれども、今朝読んで頂きましたマタイ福音書に記録された福音、「神が『救い主イエス』という『人間の形』を取って、この世の真只中にお生まれになった」という真実、「神が人間の『罪に満ちた歴史』の真只中に『素手』で介入して下さった」という奇跡を特に覚えるこのクリスマスの季節に(しかも「家族で!」)、愛する者たちから離れて、ひとりアメリカで過ごしている私に、野村さんは「メリークルシミマス」と挨拶してくれたのです。二年目に入ってそれがようやく分かりました。

 実は米国では、クリスマスは感謝祭と同様、家族で過ごすと言う習慣があります(非常に大切)。子供たちが独立した家族であれば、ばらばらに生活していた家族のメンバーたちが皆、ひとつどころに戻ってきて、クリスマスツリーの横で、クリスマスディナーを囲みながら、主イエスにあって「赦すこと」「ありのままでの姿でお互いを受け入れあうこと」「そこに戻ってくれば変わらぬ景色がある」という事実を、お互いに確認しあうのです。
 このようにかくも崇高で、「愛に満ちた季節」に、ちまたは「お買い物で一生懸命になっている」。そんなことを観察しながら、その中で取り残されている(かもしれない)私を覚えて、野村さんは「メリークルシミマス」と、愛のこもったメールを送ってくれたのでした。
 もっとも現実は、私はあちらこちらの友人に招かれ、特にカナダを訪ね、心温かい友人たちの心のこもったクリスマスに毎年加えて頂きました。ですから、クリスマスの季節に、特に「疎外感」を感じたことはありませんでしたが、留学生仲間の何人かは、現実に、そのような「クルシミマス商戦」横目に観ながら、ホストしてくれる友人の当てもなく、寂しい思いをしていたのも事実です。それを後で知ったときは、心が痛みました。あの時なぜ、何もお手伝いできなかったのだろうか、と今でも悔やみます。
 楽しいショッピング、ファミリータイム一色のクリスマスシーズンに、一人でいるというのは本当に辛いことです。留学生の話ではありませんが、米国では、この時期に自殺者が増えると物の本に書いてありました。それは、このような温かい空気の中に属すことのできない境遇にいる人たちは、華やかで幸せな空気をかもし出している社会と孤独の中にいる己の現実を比較して、普段以上に「一人である」という現実を叩きつけられるからです。「悲しさ」「寂しさ」「絶望という病」が最大限に増幅してしまうのです。ここで多くを語りますと何時間もかかってしまいますから今回は割愛しますが、クリスマスシーズンの「クルシミマス病」は、北米先住民族の中に、取り分け顕著に現れています。先住民部落の外は「ハッピー・クリスマス」、部落の中は「アンハッピー・クルシミマス」です。原理主義的宣教師たちが伝える、ヨーロッパ人たちが連れてきた「十字軍の司令官であるイエス」、テレエバンジェリストたちによって盛んに喧伝される「力・富・健康・成功」という四福音書が、先住民たちの苦しみを増すのです。(彼らには「共に苦しんでくださるイエス」を識って貰いたいと心から願います)。

 さて、「クルシミマス」というエピソードから前置きが長くなってしまいましたが、要点は、真の救い主不在のクリスマス、属することのできる変わらぬ景色がそこにはない独りぼっちのクリスマスがある、ということです。けれども、私たちの福音書はそうではないと宣言します。「精神・心の死」に至らしめるようなる病である「病孤」と「絶望」を打ち砕く「クリスマスという真実」があるというのです。今朝は、その宣言の内容を確認して参りましょう。

I.   「インマヌエル」という言葉

 イントロで紹介致しました「救い主不在のクルシミマス」は、何も現代社会に限ったことではありません。古今東西、多くの人々がこのような「救い主の不在の世界」「社会・家族からの疎外」を経験してきました。それは、イエス誕生の前夜のパレスチナや地中海世界に住んでいた人々も例外ではありません。美しく平和なメロディーに乗せて歌われる「聖しこの夜」(Silent Night)のあの星の下 で、このような「救い主不在の世界」「独りぼっちの」世界が大きく広がっていたのです。
 そのようなミゼラブルな世界の只中に、救い主キリスト誕生のニュースが告げられました。

ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に 宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となる からである(マタイ1:21)。

救いのない世の中で、「イエスは、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となる」とマタイ伝記者は記すのです。

 「救い主の誕生」と言いましたが、「イエス」と言う名には、「神が救い」という意味があります。ギリシャ語で正確に発音しますと「イースース」となりますが、これはヘブライ語「イェホシュア」の音訳です。つまり、「イエス」は「ヨシュア」がギリシャ風に訛っただけであり、全く同じ言葉ということになります。
 1:23には、馬小屋で生まれた赤子の名前の他に、ニックネーム、と言いますか、その存在の性質を表す呼び名も紹介されています――「インマヌエル」(インマーヌ・エール)。

見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼   ばれるであろう。これは、「神われらと共にいます」という意味である(マタイ1:23)。

これは旧約聖書イザヤ書(7:14)からの引用で、「インマヌエル」というヘブライ語は、ギリシャ語原典では「メス イモン オ テオス」と訳されております。日本語に訳しますと「神 われらと共にいます」(God with us)という意味です。[1]

 わたしたちは福音書を読むときに、この短い一言「インマヌエル」をさっと読み過ごしてしまうときがあります。また、ヘンデルの名オラトリオ「メサイヤ」の中にも、イザヤ書の「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれる」と言う聖句から、美しいアルトソロが奏でられていますが、我々はそれを聴くとき、この重要な「宣言」をさっと聴き流して、その次に奏でられる「善き便りを告げよ、シオンに」の美しいメロディーに気分は移ってしまいがちです。けれども、この時、この歴史の一局面に、ローマ帝国によって敷かれたパックス・ロマーナ(ローマの平和)によって築かれた大地中海のエレ二ズム文化圏で、ローマの支配下に置かれたパレスチナ、しかもそのローマの傀儡政権によって支配されていたパレスチナのベツレレムの片田舎で、この "God with us" という宣言がなされたことには、非常に大き な意味があるのです。

II.     パレスチナにおける「神不在」(インマヌエルでない状態)という背景

 福音書に、イザヤ書の「インマヌエル」という預言が引用されなければならなかったということを裏返しますと、この時「インマヌエル」がなかった、神が共にいなかった、ということになります。もちろん神は常に、「人々と共にいる」というのはキリスト者にとっては自明であり、確信でもあります。けれども、旧約時代と新約時代の間の約400年間を生きたユダヤ人たちは、ギリシャの支配に組み入れられたり、エジプトのプロレマイオス王朝に組み入れられたり、最後はローマ帝国の支配に組み入れられたり、と辛苦を舐め続けてきたために、「インマヌエル」への確信が揺らいでしまっていたのです。エジプトのプトレマイオス王朝時代に、ユダヤのマカバイ家が反乱を起こし、ハスモニア王朝樹立に成功はしましたが、その独立は100年間と一時的なもので、概して南ユダ王国滅亡後、ユダヤ人たちは国土の独立を勝ち取ることはありませんでした。

けれども問題は、近隣の力ある帝国の支配に遇い、イスラエル国家の独立を失ったと言う政治的事柄だけにあるのではありません。真の問題は、イスラエルの民たちを「宝の民」と約束された神が、いくらイスラエルがしばしば道を踏み外したとはいえ、新約と旧約の間の400年間に、一人の預言者も送らなかった、と言う事実なのです。つまり、ユダヤ人たちは、この400年間、神からの言葉がもらえず、「神の沈黙」に絶望していた、ということなのです。第二次世界大戦中のナチスドイツの迫害のもとで苦しんでいたユダヤ人たちが神に助けを呼び求めたと同じように、当時のユダヤ人たちも神に祈り、助けを求めました。けれども神からの答えは、アウシュビッツのユダヤ人たちと同じように、返ってこなかったのです。あるのは「神の沈黙だけでした」。もっと正確に言いますと、神の声が聞こえず、神からの預言者が現れず、人々は「神の臨在」「神の同伴」を感じることが全くできなかった、のです。「神なき時代」とも言える、そのような「時代の空気」の中では、当然のことながら、「神は我々を、もろもろの罪から救ってくれるわけがない」と多くの人が思っていたはずです。それは、エルサレムから見れば偏狭の地であったベツレヘムの人々にとっては、なおさらでしょう。[2]

このような空気の中、ユダヤ社会の宗教指導者たちは、生き残るための「割り切り」を行うようになっていきました。サドカイ派の誕生です。サドカイ派を理解することは、当時のユダヤ社会の宗教事情を理解する上で大変重要ですので、少し長めですが、土戸清著『現代新約聖書講解』から、サドカイ派についての言及を引用してみましょう。

  当時のユダヤ社会における有力な一派であるサドカイ派は・・・ヘレニズム・ローマ 時代からイエスの時代までは、常にユダヤ人共同体体制の中核にあった。その権力維持のためには、外国人支配者と妥協するなど、時の政権を承認し、政治的に 巧妙な行動を取ったため、歴代のローマ総督の下でも、エルサレムを中心にユダヤ人社会の対する大きな影響力を持つ一大閥を形成し、エルサレム・サンヘドリンの議長である大祭司は、この派から出た。宗派形成は、ザドク家の祭司を中核とする上級祭司と貴族、大商人等の裕福階層出身者によってなされた。従って、彼らの思考と行動は、保守的、現実的であり、ユダヤ人社会の現状維持を目標とするあまり、終末の時の「神の民」思想や、メシア待望思想などを軽視し、現世的、実利的生き方を取ったのである。
  (土戸清『現代新約聖書講解』[新地書房1984 年]44)。

 まとめますと、パレスチナのユダヤ人たちは為政者たちの支配の下絶望し、彼らから立てられた傀儡政権の支配者たちに幻滅し、預言者・救い主の到来を待望しようとも、神からうんともすんとも言ってこない現実に、とことん苦しんでいました。また、本来は神との和解(救い)の窓口となるべく「ユダヤ神殿宗教」は、傀儡政権にべったりの宗教指導者たちによって形骸化させられ、その機能を失ってしまっていました。ユダヤ神殿宗教によっては、人々は真に罪の束縛から解放され得なくなってしまっていたのです。つまり、キルケゴール風に言いますと、皆が「絶望という死に至る病」に犯されてしまっていた、と言うことです。

III.     神の沈黙を破る「インマヌエル」の宣言

 けれども、そのような「絶望の病」の中で、一声が起こりました。23節「見よ、おとめが身ごもって男を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれる」。今まで存在しないも同然であったあの「沈黙の神」が、「我々と共にあるぞ!」とう宣言です。しかも、ただ単に、シナイ山の頂からでもなく、遠く離れた砂漠の遥か彼方からでもなく、預言者たちという仲介者たちを通してでもなく、聖所と至聖所の間の幕に向こうからでもなく、あの「沈黙の神」が「人の形を取って」、我々の生の現実の真只中に来てくださり、我々と共にいて下さる。しかも、「霊妙なる議士」として、「大能の神」として、「とこしえの父」として、「平和の君」として、そして、「我々の病を負ってくれる僕として」です。驚くなかれ、その「インマヌエル」は、あのクリスマスの夜、家畜小屋の「飼い葉桶」の中に、ひっそりと生まれました。マタイ1:21には、幼子を「神は救い」(イエス)と名づけよ、との天使からの使信の後、天使は続けて、「彼は己の民をそのもろもろ罪から救う者となるからである」という一言が付け加えられています。まさに、「キリストの誕生」です。
 本日読んで頂きました聖書箇所には言及されていませんが、イエス誕生の直後、このお方の誕生を天使から告げられ、嬰児イエスを真っ先に拝みに行ったのは、当時のユダヤ社会で軽視、疎外されていた「羊飼いたち」でした。エルサレム神殿のお偉方ではありません。羊飼いらは、ユダヤ社会の通念から行きますと、「神の同伴」を感じられる生活からは程遠い場所に位置していました。毎日、ひたすら羊を追う、肉体労働者です。お金も余りありませんから、経済的成功を神からの祝福と考えていた当時の一般的ユダヤ人にとって、はまさに「祝福外の人たち」だったのです。ルカ伝の記述によりますと、「夜野宿をしながら羊の番をしていた」(ルカ2:8)とあります。イエスが実際に生まれた時期に関しては、いろいろと説があり、春先か秋口という人たちが多くいます。しかし、どのような季節であれ、パレスチナの気候は、どんな季節でも昼と夜の寒暖の差が激しく、夜はとても寒いのです。けれども、神の逆説は、そのような底辺で苦労しながら黙々と働いている羊飼いたちに、「救い主誕生」の第一目撃者と言う栄誉を、「光」の輝きと共に、与えられました。

恐れるな、見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなた方に伝える。今日ダビデの町に、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそキリストである(ルカ2:10-11)。

 彼らがキリストを仰ぎ見たときの感動は、ルカ伝の天の軍勢の讃美の中に表現されていますでしょう。「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

結び

 「神不在」と言われたこの400年の「沈黙」がここに破られました。神の歴史に対する積極的且つ徹底的な介入です。歴史の軸をぶち破って歴史の中に、目に見えず、手で触れることのできぬ神が、「人の形をとった神」として入ってきて下さったのです。「死に至る病である『絶望』」を打ち砕く、「罪を取り除く」新しい神の命がここに始まったのです。ノアのときに神は、ノアの家族以外、罪に染まった人類すべてを一掃してしまいましが、イエスの誕生のときは、「義」の作業を「イエスという人の形に受肉した神」に託し、義の業を一過的なものとしてではなく、「進行形としての義」として新たに始めたれたのです。しかも、アダムとエバのように「無垢」からの出発ではなく、「絶望」からの出発です。もはや、「クルシミマス」ではありません、名実共に「クリスマス」です。



[1]  エルサレムの「エル」は「神」の意。ちなみに、「サレム」は「シャローム」、「平和」を意味します。つまり、エルサレムとは「神の平和」と言う意味。

[2] 「病」や「不幸」が「罪」の結果と考えられていた当時の宗教的メンタリティーを考慮しますと、一層そのリアリティーが感えるじられるでしょう。