メッセージバックナンバー

2006.09.10 「雪のように白くしてください」 吉良 賢一郎
序論

 精神科医であった、故人、神谷美恵子さんの著作に「生きがいについて」という有名な本があります。その内容は、タイトルが示す通り、生きがいとは何なのか、それはどこから生まれてくるのか、ということを、精神医学的に、哲学的に、社会学的に、文学的に、そして宗教的に、多方面から論じるものです。一言で言いますと、人間の根本存在に対する洞察力に富んだ学術書ということができますでしょう。
 決してセンチメンタリズムには陥らず、鋭い目で「生きがい論」を徹底的に論じる神谷さんですが、彼女が生きがいについて考え出したきっかけは、医学研究からではなく、遡っては、津田塾英学塾在学中、伝道者であった叔父に誘われて多磨全生園を訪れ、初めて「らい」の存在を知ったことにありました。その時、「同じ世に生を受けて、このような病に苦しまなくてはならない人々があるとは、いったいどういうことなのか、心の深いところで自分の存在がゆさぶられるような衝撃を受けた」そうです。そして、実践においては、ハンセン氏病患者が暮らす隔離施設、長島愛生園での患者さんとの生涯にわたる関わりでした。同じ闘病者のなかで半数以上は希望を持っていませんでしたが、少数の人たちは生きがいを感じている事実が、「生きがい」というテーマへの彼女の関心を深めたそうです。
 今朝の聖書個所は、神谷さんが接したハンセン氏病患者のイエスによる癒しの物語です。この病人が生きがいを持って生きていたかどうかは、福音書の記述だけではうかがい知ることはできません。けれども、ユダヤ世界、ひいては聖書の世界におけるハンセン氏病の位置をかんがみれば、答えは明白でありましょう。彼は、ユダヤ教の規定に従い、生きながらにして死者とされた人でした。「生きがい」などという言葉とは無縁の生活を強いられていたと言うことです。
 今朝は、聖書におけるらい病の位置、らい病人に触れられるイエス、そして彼に対するイエスの沈黙の命令の意味するところを学びつつ、このストーリーが持つ今日的意味を探って参りましょう。

I.                   聖書におけるらい病の位置

 差別用語撤廃の流れの中で、改定版の新共同訳聖書(新改訳も)では、「らい病」という言葉が、ハンセン氏病とは言いませんが、「重い皮膚病」と言い換えられました。新約聖書学者のA氏などは、差別されている人々に神の子であるイエスがみずから近寄られたという事実、それが「福音」そのものに他ならなかったのに、差別用語を被差別用語化してしまうと、福音のインパクトが薄まってしまうと主張し、この流れに異を唱えます。実は、このような差別用語使用の良し悪しは別にして、それ以前に、新約聖書原典では、らい病患者を「レプロス」と銘記しているのです。レプロスとは、「らい」の英語 leprosy の元の言葉に他なりません(英語も差別用語撤廃の流れを受け
て、skin diseasena などと訳されている)。もっとも、旧約聖書におけるこの言葉のヘブライ語「ツァラアト)」の用法は多義にわたり、実際には、らい病だけではなく、さまざまな皮膚病を指したという事実は指摘しておかなければなりません。[1]
 とは言え、古代から新約時代のユダヤ社会に至るまで、らい病は存在し続けたのであり、実際にそれが厳密にらい病と診断されようとされまいと、斯かる患者はらい病者と断定され、衛生面からだけではなく、宗教的に清くない、汚れた者とされたのでした。そして、その診断は祭司だけの手に独占的に委ねられていたのです。レビ記13章にはその具体例が列記されていますので、紹介致しましょう。

13:3 祭司はそのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えているなら、それはらい病の患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。13:4 もしそのからだの
皮膚の光る斑点が白くても、皮膚よりも深くは見えず、そこの毛も白く変わっていないなら、祭司はその患者を七日間隔離する。・・・13:10 祭司が調べて、もし皮膚に白いはれものがあり、その毛も白
く変わり、はれものに生肉が盛り上がっているなら・・・13:13 祭司が調べる。もし吹き出物が彼のからだ全体をおおっているなら、祭司はその患者をきよいと宣言する。すべてが白く変わったので、彼はきよい。・・・13:16 しかし、もしその
生肉が再び白く変われば、彼は祭司のところに行く。13:17 祭司は彼を調べる。もしその患部が白く変わっているなら、祭司はその患者をきよいと宣言する。彼はきよい。

 いったん、らい病と診断された患者は、その病の間、民の共同体から隔離されました。それだけではありません、彼らは、「衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならな」かったのです(レビ13:45)。だれも彼に近づかないようにするためです。その状況を想像できますでしょうか。しかも、らい病と診断された者は、この症状があるかぎり、独りで、或いはらい病患者同士で、宿営の外の「死者の谷」に住まねばならならなかったのです(レビ13:46)。[2] 律法主義がはびこったイエスの時代には、このような律法の規定に輪をかけて、らい病患者への扱いが更に過酷であったことを付け加えて起きます。
 本日の聖書個所マルコ伝に登場したらい病人は、そのような境遇に置かれた人でした。今日の言葉で平たく言いますと「アウトカースト」です。「生きがい」を感じて生きる権利を奪い去られて人です。それは、実存的に言い換えますと、病気そのものがではありません。病気と言うメタファに刷り込まれた「罪人」「汚れた人間」という決め付けの概念によってです。[3]

II.                らい病人に触れるイエス

1:40 さて、らい病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。

 イエスはあえてらい病人が肩を寄せ合いながら生きていた集落の近くを通ったのかもしれませんが、マルコはらい病患者がイエスのもとに来たと記しています。ギリシア語の響きで言いますと、らい病人がイエスの方角に、イエスに向かって(プロス
アフトン[イエス])近寄ってきたのです。そして、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言いました。この人はガリラヤ中に知れ渡ったイエスの噂を聞きつけてきたのでしょう。イエスが素晴らしい教師である、という噂もあったでしょうが、あちらこちらを巡回しながら治癒活動をしている、という人々の話に彼は興味を覚えたはずです。なせなら、この病人が今必要としていたのは「教え」ではなく、「癒し」だったのですから。
 けれども、イエスのもとにやってきたおびただしい病人の中で、この人の発言は注目に値します。彼は、イエスに、「私を癒してください」とは言わずに、「御心ならば」というのです。ギリシア語では「エアン セリス」、「も
し、意思して下さるなら」です。このらい病人は、これまでイエスに会ったことはなかったでしょう。イエスが行われた奇跡も直接見たことはなかったでしょう。それにも関わらず、彼は頼るものが何もない中、手では触れられない噂、目には見えない噂、通常ではありえないことへの淡い期待を抱いてイエスの元に来たのでした。しかも、「奇跡を見せてくれ」という姿勢でもなければ、「だめもと」という博打的態度でもありません。このお方は病気を癒す権威をお持ちなのだと信じて、一切を委ねて御許にやってきたのです。いわば、ヘブライ人への手紙11:1にある、「 "信仰と
は"、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」という姿勢です。そのような心は神から与えられた「賜物」と言っても良いかもしれません。しかも、病気を癒す権威を持っていると認めることは、ユダヤ社会の世界観では、罪を赦す権威を持っている、と認めることとイコールでしたから、彼がどのような視点でイエスを見ていたかは自ずと浮き彫りになるでしょう。
 宗教人類学者は、この光景をやや遠目から眺め、「病気のメタファからの解放」と分析しますが、聖書の世界観に生きる当事者にとっては、文字通り、罪を洗い流し、斯かる人を清くない状態、つまり穢れた状態から清める出来事に他ならなりませんでした。これは、罪ゆえの死という教理的理解とは別に、「死の克服」と言い換えても言い過ぎではありません。なぜなら、らい病人は生きながらにして死者にさせられた人々であり、当時の医学では、らい病を癒すことは、死者を生き返らせるのと同じくらい困難と見做されていたからです。

1:41 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、1:42 たちまちらい病は去り、その人は清くなった。

 さて、イエスは自分に近寄ってきたこのらい病人を憐れみます。しかも、ただ憐れんだだけではなく、「深く憐れんだ」のでした。「深く憐れむ」とは思いやりの心でいっぱいになるということです。この言葉のギリシア語「スプランフニゾメ」は内臓を表す言葉です。つまり、内臓まで動かされるほどの深い同情を、イエスはこの人に寄せられたのでした。[4]
 そのイエスの同情の深さは、彼に直接手で触れて癒された、という行為に見て取ることができます。直接手で触れ触れられた・・・。主はらい病患者に直接触られたのです。イエスの細かなしぐさですが、マルコはこれを描写することにおいて、重要なことを私たちに示しています。決してサッと読み進めてはなりません。実は、イエスがここでされたことは、律法の清浄規定の違反行為でした。アンタッチャブルなものに触り、律法の禁を犯したのです。律法の規定によりますと、汚れた者に触れたことにより、イエスもまた汚れた者となってしまいます。けれども、イエスにとっては、そのような人間の尊厳を抹殺する非人間的決まりごとなどは、決して神の本来の律法ではありませんでした。文字でもなく、言葉だけでもなく、主は自らの手で、生きながらにして死者とされ、すべてのコミュニティーから断絶されていたこのらい病人に対して、心からの愛を示され、生きた人間として接せられたのです。ここに、この物語の「福音」があります。それはとりもなおさず、らい病というメタファに込められた罪の赦しによる人間存在の回復に他なりませんでした。そして、他方このらい病人は、何も要求できぬと言うことを謙虚に認め、ただイエスの意思の前に頭をたれるということにおいて、正しい信仰の姿勢を示したのです。
 チャールストン・ヘイストン主演のベン・ハー(ハーの子ベン)という映画をご存知かと思います。長編映画ですので、ストリーラインの説明は映画に譲るとして、物語最後のクライマックスのシーンだけを思い出して下さい。ベン・ハーは、ユダヤ教の禁を破り、らい病に侵され、死者の谷に住む母と妹に会いに行きます。そして、彼を押しのけようとする母と妹をその手で抱きしめます。聖書の背景を知らないでこの映画を見れば、ここは単にお涙頂戴程度に感動するだけのシーンですが、作品がこのシーンで伝えたい重要なメッセージは、ベン・ハーが、決して侵してはならない禁を破り、アンタッチャブルならい病患者の母と妹を抱きしめたということなのです。聖書の世界を知らなければ、決してこの彼らの心の動きを理解することはできません。映画では、ベン・ハーの行為の背後に十字架のイエスの影がありました。
 福音書に話を戻します。そこで、主イエスは、このらい病人に「『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまちらい病は去り、その人は清くな」りました。新改訳聖書は「わたしの心だ。きよくなれ」と意訳しておりますが、ギリシア語原典では、「私は意思する。清くなれ」です。イエスの意思とは主の御心です。このらい病人は、病が癒えるも癒えないも、すべてイエスの意思に委ねました。そして、主のご意思は「清くなれ」だったのです。果たして、この人はらい病が癒え、清くなりました。汚れた者としてユダヤ社会から疎外されていた人が、イエスの救いに与り、つまり罪が赦され、生きた人間としてユダヤ宗教社会へと復帰する道が開かれたのです。

III.             沈黙の命令

1:43 イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、1:44 言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」1:45 しか
し、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

 イエスは治癒行為の後、レビ記の規定に従い、このらい病を患っていた者に、体を祭司に見せるように言われました。それは、イエスがあたかも革命者の如く、神の律法を破壊しようとする者という誤解を防止するためでありましょう(NTDマルコ、71)。
 けれども、その前に、イエスは厳しい口調で、その人を立ち去らそうとし、このことを誰にも言うな、と不可解な言明をします。もちろん、他の個所でも、奇跡行為の後、沈黙し、そのことを誰にも言うな、との発言は他にも数箇所ありますが、ここでは意地悪に感じるほど厳しい発言をされるのです。解釈者泣かせの個所のひとつです。けれども、イエスの治癒活動の本当の意味が治癒そのものにはなかった事実を考えますとき、このらい病患者だった者に起こった出来事は、単なる肉体の癒しではない、ということを彼は深く知る必要がありました。人は奇跡を行う人を褒め称えはしますが、その行為者が「人間の罪の完全な購い」への道、十字架の道を歩んでいることは知ろうとしません。そして、福音書の読者はその十字架が自分たちのためであったことをなかなか理解しないのです。イエスの怒りとも取れるこの発言は、そのような人々の盲目に対して向けられたものであったと見て良いでしょう。
 さて、ここで、イエスの与える賜物の本質が明らかになりました。それは、清いものと清くないもの、神の民とその外にある人々、という一切の差別を突き破るものであるということです。けれども、人が、イエスが誰であるのか識り、そのイエスが与えられる賜物が何であるのを理解し、それをそのものとして受け取らない限り、奇跡に感動したところで、救いと言う意味では何の決め手にもなりません。イエスが与えて下さる賜物とはそのようなものなのです。

結論

 今朝は、イエスによるらい病患者の癒しの物語から、聖書におけるらい病の位置、彼らが置かれた環境、そのようならい病人に直接禁を破ってまでも手を差し伸べるイエス、そして、イエスがこのストーリーの中で何を言わんとしているのかを学びました。
 今日らい病は完全に克服されたと言われています。けれども、今日尚、らい病患者であった方々の多くは、施設の中に留まり、社会復帰できずにいます。神谷美恵子さんは、そのような患者の多くが生きがいを持てないでいると言いました。生きがいを感じる心、生きがいを求める心、生きがいそのものが奪い去られてしまったからです。けれども、彼らの心の中には「雪のように白くして下さい」という祈りはなかったでしょうか。まっさらに清めて下さいという祈りはなかったでしょうか。イエスは、福音書でらい病人と出会われ、ご自身が、自ら人々へと近寄っていく心の巡回治癒神、差別の破壊者、そして、生きがいの源である「命のたぎり」であることを示し、彼を雪のように白くなさいました。そのようなキリストの福音に触れてイエスを信じる者になったらい病患者は、現代に日本にも少なからずおられます。
 私たちには、そのような主が人生の同伴者として歩んで下さっています。ですから、マルコ伝に出てきたらい病人と共に、また、多くの「不浄」というメタファの枷をはめられて苦しんでいる人たちと共に、詩編の祈りを共に祈ろうではありませんか。

詩篇51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。

この祈りから「生きがい」と「存在への勇気」が生まれてくると信じます。アーメン


[1]ちなみに、ヘブライ語では「ツァラアト」であるが、レビ記13章の「ツァラアト」を英訳聖書が leprosy と訳したため「ハンセン氏病」を指すものと理解されたが、レビ
記の13章は寧ろ広い意味での、伝染病的重い皮膚病の総称で、人体の病変以外にも家屋の壁を侵すカビをもこの名で呼んだ。ギリシア語の語源から言えば、レプラは「うろこ状の病変で覆われた」病状の病気であり、ギリシア医学の祖ヒポクラテスの文献もいまだ厳密にハンセン氏病を特定しているわけではない。ただ、イエスが癒されたレプラの患者が「ハンセン氏病」であった可能性は、その後のこの用語の歴史から否定できない(織田昭編『ギリシア語小事典』教文館、342-343)。

[2] William L. Lane(The New International Commentary on the New Testament:
Mark. 85)によると、らい病患者は、エルサレムと城壁で囲まれた町以外ならば、どこにでもみずからが希望する場所へ住むことが許された。また、民との仕切りがなされているのであれば、彼らはシナゴーグの礼拝に参加することもできたようである。もっとも、そのような計らいがなされようと、らい病患者は、みすからと自分たちを遠ざける近隣の民たちには怒りを禁じえなかったであろう。

[3] 40-44節は治癒奇跡物語の様式を備えている。@病人と奇跡行為者との出会い、A治癒の懇願、B治癒の所作と言葉、C治癒の確証(川島貞夫『マルコによる福音書』日本基督教団出版局、83)

[4] もっとも、エドゥアルド・シュバイツァーなどは、ここの読みを「憐れみ」ではなく「怒り」と取る。「深く憐れみ」となっている写本の方が数の上では断然に多いのだが、「怒り」となっている写本の読みを取ると、1:24-25の悪霊の仕業同様、創造者なる神の本来の意思に対立する、戦慄すべき病の惨状に向けられた腸の煮えくり返る怒りということになる。もし、この読みが正しいとすれば、憐れみが癒しの根拠と言うよりも、憐れみよりも遥かに包括的な、すべて神に敵対するものに対する戦いの意思こそが、この癒しの業の根拠ということができよう(NTDマルコ、71)。