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2006/07/16 「漁師が霊仕に」― 
マルコによる福音書1:16-20 吉良 賢一郎

イントロ

本日の奨めの標題は「漁師が霊仕(りょうし)」にとしましたが、もちろん「霊仕」という言葉は存在しません。いつもパッとしないタイトルばかりでしたので、説教の標題を外の掲示板に張りだすのなら、いっそのことインパクトのあるものを、と思い、このような奇異な題を考えついた次第です。

けれども、「霊仕」という私の言葉遊びには深遠な意味があります。なぜならば、本日私たちが学ぶテキストで、一介の漁師たちが、神の霊に仕える者へと呼び出されたからです。それもエルサレムでではなく、ガリラヤという、エルサレムの正統派ユダヤ人からは蔑視されていた、辺境の地においてです。

たしかに過去の歴史や血統という点を抜かせば、北部パレスチナに位置するガリラヤ瑚は大変綺麗なところでした。名称も代々美しく、元来は「キンネレの海」(琴の海)(民数記34:1)と呼ばれ、後には「ゲネサレの湖」とも呼ばれました。

その湖周辺の地形ですが、北西部は比較的低くなだらかで、東側と西側の丘陵は300メートル以上に達します。また、地理的には、地中海海面下204メートルと低いために、時に氷雪を頂くヘルモン山から、突風が湖に吹き降ろすこともあり、その嵐はイエスの弟子たちを苦しめた、という記述が福音書の中にもあります。けれども、縦12キロ、横9.6キロの広大な湖の湖畔には、色とりどりの草花が咲きほこり(BibleDictionary 414)、ガリラヤ湖畔は漁師たちの田舎訛りの会話や鳥たちのさえずりがこだまする牧歌的世界であったようです。魚も22種類いたと
言われています。

ちなみに、福音書では「ガリラヤの海」と書かれていますが、それは湖のサイズがあたかも海のようだった、ということでしょう(米国のミシガン湖のようなもの)。

しかしながら、忘れてはならないことは、ガリラヤ地方は旧約聖書においては、「暗黒の地」「死の陰の谷」と形容された土地であったということ。そして、イエスの時代でも、ガリラヤにはローマ帝国の駐屯基地があり、ガリラヤ瑚は「ティベリアスの湖」とも呼ばれていた事実です。ヨハネ6:1には、「イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。」とガリラヤ湖の第二の名の補足説明がされていますが、この名は、当地の当時の支配者であったヘロデ・アンティパスが、時のローマ皇帝ティベリウスの機嫌をとるために、湖の西岸に建てた、新しい都「ティベリア」にちなんで付けられたものなのです。

そのような悲しみの地で、イエスは神の国の到来を宣言し、悔い改めて福音を信ぜよ、と促したのでした。


さて、今朝私たちの前に開かれているテキストは、そのようなガリラヤ湖畔でイエスが最初の弟子たちを呼び集められた、場面を記録しています。オペラにたとえるなら、「イエスの神の国運動」の第一幕ででも言えましょう。そして、結論から申しますと、このオペラ第一幕のテーマは、「喜びの音ずれに耳を向けるとは、具体的にどういうことなのか」ということです。

本日は、この提言の内容を、「イエスに従った漁師たち」というエピソードから、マルコの語りを通して学びましょう。



I.                   シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの招聘

 マルコ福音書の記述形式と言いますか、マルコの癖は、余計なことは一切言わず、イエスの生涯、神の国運動の展開を、まるで結論を急ぐかのように、要点だけを端的に、スピーティーに綴ると言うことです。その癖は、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの呼び出しの記述に関してはとりわけ顕著です。


ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった・・・「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」 すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった・・・すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは・・・イエスについて行った。(16-20節の要約)


E. シュバイツァーと言う註解者は「個々の細目についての報道が少なければ少ないほど、すべては益々ひとつの理想的情景に近づき、ここに伝えられている場面の中に読者が自己を見出すことも、より容易となる。」などとコメントしておりますが、マルコの意図はそのような読者の実存的理想的情景などという難しいことは言っておりませんでしょう。


 エピソードは、イエスがガリラヤのほとりを歩いているところから始まります。イエスは波打ちぎわで、後に一番弟子になるシモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になり、声をかけました。次いで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になり、同じように声をかけます。福音書には、「彼らは漁師であった」とあります。網を打っている漁師ですから、具体的には投網漁を生業とする漁師たちでしょう。
ちなみに、物の本によりますと、投網漁師たちは、直径約3メートルから3.50メートルの網の周辺に石の重石を付けて網を打ち、袋状になった網の中に魚を捕らえたとあります。けれども、通常一回に付き、少ししか取れなかったようですから、ガリラヤ瑚の漁師たちは貧しかったのでしょう。ルカ伝における平行個所の、より詳細で、ドラマチックな叙述は、そのような背景を反映していると見て差し支えないと思います。

 せっかくですから、ルカ伝の平行箇所を見てみましょう。ルカによる福音書5:1-11。



イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。


 さきほど、イエスはこの四人に会われて声をかけられた、と申しましたが、この情景はまことに突飛です。マルコは無駄な語りを省いて「すると彼らはすべてを捨ててイエスに付いて行った」と話を先に進めるのですが、立ち止まって考えますと、大変な出来事です。彼らが生業としている漁師の仕事をギブアップして、「我に従え」とイエスは言うのです。それはヤコブとヨハネにも同様でした。しかも、彼らの場合には、船だけではなく、父や雇い人たちをも後ろにおいて付いて来い、と厳しい選択を迫るのです。家族を捨てろ、と言うのです。この短い描写の行間で、この四人はきっと将来克服しなければならないであろう経済的困難や、他のさまざまな心配事を思い巡らしたでしょう。

 けれども、マルコのこの簡潔な語りと言いますか、ある種の沈黙の中に、何かに大きな意味が隠されているように思えてなりません。神の沈黙、と言えば大げさに聞こえるかもしれませんが、少なくともこの四人のその後の生涯を見てみますとき、これは恵みを宿す「沈黙」であったはずです。それは彼らが今や「聖人」の位を与えられているからではなく、彼らの、何も分からないけれどとにかく主に従った「求道の生涯」そのものが神の恵みと憐みを体現しているからです。私はこの箇所を読むとき、遠藤周作の「沈黙」の最後に、転びバテレン、フェレイラがつぶやいた一言を思い出します。

 
「あの人[神]は決して沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。」

II.                  人を取る漁師に

 イエスの招きに対する四人の心境を行間から探ってみましたが、もうひとつ、彼らがイエスに従ったヒントがあります。それは、福音書からはルカ伝にあるようなイエスの神的力の発動にしか求めることができませんが、ある初期キリスト教史を扱った本によりますと、当時、ラビから声をかけられ、その弟子に招かれると言うのは、この上ない栄誉なことであった、というのです。一般的には、弟子入り志願者が、希望のラビのところに行き、その先生のもとで学ぶ、というのが当時のしきたりでしたが、その逆も稀にあったのです。そして、この四人の漁師に対するイエスの呼びかけは、後者の方でした。しかも、ある程度ちまたで評判になっていたであろう(独立)ラビから、聖書の表現によりますと、無学のただ人たちが門下生になるように招かれたのです。それは彼らにとっては青天の霹靂以外の何物でもありませんでした。

 イエスは四人を、見つめて「我について来い」(follow me)と言います。先ほども触れましたが、イエスの招きは突然訪れました。招きを受けた側は何の準備もなされていません。彼らは、恐らく、イエスの説教の聴衆にすら含まれていなかったでしょう。イエスの呼びかけはいつも突然なのです。実は、旧約聖書でも神の突然の召し、或いは命令、或いは、呼びかけは珍しいことではありませんでした。たとえば、モーセに対する有無を言わせぬ語り掛け、イザヤへの召しなどなど、数え上げればきりがありません。総じて、と言うよりも、常に言えることは、イエスは特別な宗教領域で人と出会うのではなく、日常生活のただなかで、出会われる、という事実です。

 ガリラヤ湖畔と言う日常で、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネに出会われたイエスは、ユーモアと未来への終末論暗示を込めた不思議な言葉を発します。「人間をとる漁師にしてあげよう。」 古い表現ですと、「人をすなどる者にしよう」です。

 もし私たちが、このイエスの言葉をただユーモアに溢れた言葉遊びとしてだけ読むのならば、この発言の背後にある旧約聖書の重要な意味を見落としてしまうでしょう。実は、「人間をとる漁師」という言葉の背後にはエレミヤ書16:16があるのです。曰く、「見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。」

もっともエレミヤの場合は否定的文脈でこのような比喩が使われていますが、イエスはそれを積極的意味に変換して、皆が馴染んでいたエレミヤ書の言葉を逆説的に引用したのです。もし、この四人が獣を取る猟師でしたら、「私はあなた方を人をとる狩人にしよう」と言われたことでしょう。

 いずれにしましても、イエスのエレミヤ書を背後に置いた発言は、終末的文脈の中で理解されるべきですし、その文脈の中ではじめて意味をなします。単に、君たちを伝道者にしよう、などというレベルのお話ではありません。終末的文脈とは即ち、神の最後の裁きを前提とした、悔い改めへの招きであり、その働きに参与するという招きです。イエスの「神の国は近い」という宣言は、悔い改める者にとっては福音であると同時に、悔い改めない者にとっては「終末における最後の裁き」以外の何ものでもないのです。

 ですから、準備期間を与えずに弟子たちを召しだすイエスの召しは、四人の弟子たちだけに留まらず、終末の時代を生きる私たちにも、終末的呼びかけとして、問いかけられ、また、与えられているのです。それは、一言で言いますと「今、我に従え」という問いかけであり、召しであります。しかも、その「ついて来い」という呼びかけは、英語訳のfollow meが現代英語の意味においてcome with meと理解されるがごとくではありません。それはジョン・バニアンの「天路歴程」(Pilgrims Progress)に出てくる一本の細い道の如しです。具体的に言いますと、
当時の道は、主要幹線でない限り、細い道であったということです。それが湖畔の道であればなおさらです。つまり、二人並んで歩くほどの幅はなかったのです。Come with me(一緒に来い)ではなく、私があなたに先立って進むので、私の後に付いて来なさい、とイエスは言っているのです(御後に従う)。けれども、命令調の発言ではありません。この険しい路程を、あなたに先立って私が歩いて行こう、という、イエスの羊飼いとしての姿がここに映し出されてされています。これを福音と言わずして何と言いましょう。

 しかして、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの四人が、どこまで理解していたかは別にして、理屈なしに、彼らはイエスに従い、文字通り、イエスを先頭にして、付き従ったのでした。そして、幾多の失敗、挫折を重ねながらも、最後の時に、遠藤周作の「沈黙」のフェレイラ司祭のごとく、「私の今日までの人生があの人について語っていた」と告白して、天へと凱旋したことでしょう。

まとめ

 イエスに従った四人の漁師たちを通して、「喜びの音ずれに耳を向けるとは、具体的にどういうことなのか」ということを学びました。

 イエスは前触れもなく、私たちを召すときがあります。しかも、往々にして待ったなしの召しです。もちろん召しといってもいろいろな形があ
りましょう。けれども、私たちは、多くの場合において、その召しの意味が分からず、或いは、受け入れ難く、後ずさりしてしまいがちです。そし
て、それが分かったとしても、主が召す細い一本道を主の御後に従って歩き通すことは中々できませんし、時に道のみならず「主」を見失ってしま
うときもあります。

 しかし、私たちが福音に触れる時、それでも「信仰」という賭け――ヘブライ書の言葉を借用すれば、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認すること」――に私たちは導かれ、求道の人生の中で立っているこの場が実は、主の一本道、或いは、その一本道に通じる「あ
ぜ道」であることに気が付くはずです。その時、私たちはまさに、主の霊に仕える霊仕(りょうし)であることにも気が付くでしょう。